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唐三彩 とうさんさいTang-san-cai

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

唐三彩
とうさんさい
Tang-san-cai

中国,唐前期 (7世紀末~8世紀初) に焼かれた,白地に緑,褐,藍色などの釉 (うわぐすり) で文様を表わした陶器。白,緑,褐色の3色の組合せが最も多い。器形には盤,水瓶,壺のほか人物やらくだ,馬などを表わしたものがあり,文様は型押し,彫り,貼花による。多くは墓に副葬する明器 (めいき) として作られた。この陶器は,遼三彩奈良三彩ペルシア三彩などに影響を与えた。

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デジタル大辞泉の解説

とう‐さんさい〔タウ‐〕【唐三彩】

中国、唐代に作られた軟質陶器。白・緑・黄・茶・藍などの色釉(いろぐすり)で彩ったもので、各種の器のほか、俑(よう)も多い。

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百科事典マイペディアの解説

唐三彩【とうさんさい】

中国,唐代に焼かれた三彩。7世紀後半―8世紀中葉にかけて数多く制作された。緑,褐,白の三色を基調とするが,藍(あい)を加えた作例もある。王侯貴族墓の副葬品として作られたもので,人物,鳥獣,車馬,厨具(ちゅうぐ),器皿,農具などをかたどったものが多い。
→関連項目印花文緑釉

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世界大百科事典 第2版の解説

とうさんさい【唐三彩 Táng sān cǎi】

中国,唐時代につくられた三彩陶で,盛唐三彩と晩唐三彩とに区別される。盛唐三彩をささえたのは貴族であり,晩唐三彩は貴族にかわって台頭した市民層および海外輸出によってささえられていた。唐三彩の技法は純白の胎土,あるいは白化粧白胎の選択が重要な成因になっており,白磁,白釉陶がはじめてつくられた六朝末期の北斉時代(6世紀後半)に華北の地で,併せて焼造されはじめたのも道理であった。はじめ白い胎土に透明釉をかけ,さらに緑釉をたらし込んで白釉緑彩の形で登場する三彩は,隋時代ののち初唐時代の7世紀中葉には透明釉をおおいに工夫して色釉に暈し(ぼかし)と滲み(にじみ)をつけた釉法が試みられ,盛唐の則天武后の治世に釉技は完成する。

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大辞林 第三版の解説

とうさんさい【唐三彩】

中国唐代に作られた軟質陶器。緑・白・黄・茶・赤などのうち、三色の取り合わせで彩色されている場合が多いのでいう。各種容器のほか、男女人物像などがある。奈良三彩はこの手法が伝来したもの。 → 三彩

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

唐三彩
とうさんさい

中国唐代(7~10世紀初)の三彩陶の総称。盛唐三彩と中・晩唐三彩とに大別される。三彩とは、一つの器に鉛を媒溶剤とした色釉(いろゆう)を施して低火度で焼成した軟陶であり、褐釉と緑釉をかけ合わせた始源的な三彩はすでに漢代に先例をみるが、素地(きじ)に純白色の粘土を選んだところに唐三彩の特色がある。北斉(ほくせい)時代(550~577)の白釉緑彩陶を祖法として、盛唐の則天武后の武周革命(690~705)の時期に一挙に成熟した。厚葬の風習が盛行した唐代には、貴紳の墓に副葬するための多くの明器(めいき)がつくられているが、696年の契(けいひつめい)墓(陝西(せんせい)省咸陽(かんよう)市)から出土した三彩馬、三彩駱駄(らくだ)などは、盛唐三彩の最初期の資料でありながら92センチメートルの像高をもち、豊かな彫塑力に支えられた様式美を示し、釉法もすでに完熟の域に達している。盛唐の三彩は、透明釉地に緑釉(銅呈色)、褐釉(鉄呈色)、藍(あい)釉(コバルト呈色)を垂らし込む単純なものから、蝋(ろう)抜き技法で大小の鹿(か)の子斑(こはん)を表現したり、緑釉や褐釉を濃く呈色させた上に透明釉をたっぷりかけて暈(ぼか)しや滲(にじ)み染めする釉法、あるいは、あらかじめスタンプで文様を表しておき、文様にあわせて三彩の色釉を賦彩する一種の色絵法も編み出した。これにより、それまで比較的じみな装飾法しかなかった陶磁器に絢爛(けんらん)たる装飾美の世界が開かれ、陶磁史にとっては空前の一大盛事となった。
 貴族文化を象徴する盛唐の三彩は、安史の乱(755~763)によって終止符が打たれ、それ以後の三彩陶は大きく性格を変え、おもに食器を中心とする日常の器皿に精緻(せいち)な技法が駆使され、一部は海外へも輸出されるようになった。これが中・晩唐の三彩であり、やがて宋(そう)三彩、遼(りょう)三彩、元三彩、明(みん)三彩、法花(フアーホワ)、交趾(こうち)焼へと受け継がれるが、同時に外国の製陶にも大きな影響を与え、盛唐の三彩は日本に奈良三彩、新羅(しらぎ)国に新羅三彩、渤海(ぼっかい)国に渤海三彩を生む機縁をつくり、晩唐三彩はイスラム圏にイスラム三彩を誕生させている。わが国ではまた桃山時代に京都の長次郎が明後期の交趾焼を手本として三彩を焼いて楽(らく)焼の祖となっており、江戸後期にはやはり交趾焼の作風を受けて全国各地に三彩が流行した。[矢部良明]
『水野清一著『陶磁大系35 唐三彩』(1977・平凡社) ▽上海人民美術出版社編『唐三彩』(1983・美乃美) ▽文化庁他監修『日本の美術No.408 唐三彩と奈良三彩』(2000・至文堂)』

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世界大百科事典内の唐三彩の言及

【三彩】より

…680‐690年代である。この盛唐三彩は盛唐ならではの典雅な器形のうえに,透明釉のぼかしの効果を存分に生かして豊麗な装飾を具現したのであり,陶磁界にはじめて華麗な加飾が可能になった。その後,中・晩唐時代には作行は低下するが,実用の器物として三彩は生き残り,海外にも輸出された。…

【陶磁器】より

…北斉期には華北諸地域では白磁生産も行われ,これに加えて河南省范粋墓や河南省李雲墓からは白磁緑彩瓶や黄釉緑彩六耳壺などが発見され,唐の三彩陶の初期的なものもつくられるようになる。
[隋,唐]
 隋・唐代は青磁,白磁,黒釉磁などの磁器類とともに,いわゆる唐三彩と呼ばれる鉛釉陶など宋代以降につづく中国陶磁器の各種の器がすべて出そろう。唐代の茶書である《茶経》に〈盌(碗)は越州が上品。…

※「唐三彩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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