日本大百科全書(ニッポニカ) 「唐才常」の意味・わかりやすい解説
唐才常
とうさいじょう
(1867―1900)
中国、清(しん)末の変法(へんぽう)自強運動の指導者。湖南省瀏陽(りゅうよう)県の人。同郷の譚嗣同(たんしどう)らとともに時務学堂、南学会を設立し、湖南省で変法自強運動を推進した。とくに『湘(しょう)学報』『湘報』の編集、執筆を通じて変法思想を鼓吹し、地方の啓蒙(けいもう)に努めた。戊戌(ぼじゅつ)の政変後、来日して孫文らの革命派および康有為(こうゆうい)、梁啓超(りょうけいちょう)の保皇会と提携し、康、梁から資金提供の約束を得て華南独立計画に着手、時務学堂学生、留日学生を中核として上海(シャンハイ)に自立会を結成した。また全国の進歩人士を集めて「中国議会」を開き蜂起(ほうき)計画を討議、容閎(ようこう)と厳復(げんふく)を正副会長に推し、自身は総幹事を務めた。さらに哥老(かろう)会と結び、漢口において自立軍を組織、七軍に編成し、義和団(ぎわだん)事件に乗じて各地で蜂起する計画であった。しかし約束の軍資金が届かず延期しているうちに発覚し、湖広総督の張之洞(ちょうしどう)に摘発され、漢口のイギリス租界で逮捕、20余名の同志とともに処刑された。これを自立軍事件という。
[西川喜久子]