山都(読み)やまと

改訂新版 世界大百科事典 「山都」の意味・わかりやすい解説

山都[町] (やまと)

熊本県東部,上益城(かみましき)郡の町。東は宮崎県に接する。2005年2月蘇陽(そよう)町,矢部(やべ)町と清和(せいわ)村が合体して成立した。人口1万6981(2010)。

山都町中部の旧村。上益城郡所属。人口3279(2000)。南東は宮崎県に接する。南北に細長い村域の北部は阿蘇外輪山の南東斜面にあたり,南部は向坂(さきさか)山(1685m)など九州山地に属する山々が占める。中央部を緑川が西流し,川沿いに国道218号線が通じる。就業者の約7割は農林業に従事し,米作に加えて畜産養蚕,高冷地野菜・シイタケなどの生産が行われ,矢部周辺県立自然公園に属する南部山地では杉,ヒノキの良材を産する。大平地区には江戸末期から清和文楽人形芝居が伝わり,県の民俗文化財に指定されている。

山都町北東部の旧町で,南東は宮崎県に接する。旧阿蘇郡所属。人口4668(2000)。阿蘇外輪山の南東斜面を占めるが,南東部は九州山地の山々からなり,五ヶ瀬川が北東流する。南端近くにある中心集落の馬見原(まみはら)は,江戸時代肥後と日向を結ぶ街道の宿場町で,酒造業が盛んであった。現在も国道218号,265号線が交差し,商業が活発である。農林業が主産業で,米,タバコ,茶,シイタケ,栗,ブルーベリーなどを産し,畜産も盛ん。杉,ヒノキの良材も産する。五ヶ瀬川の蘇陽峡は奇岩絶壁の渓谷美で知られ,矢部周辺県立自然公園に含まれる。

山都町西部の旧町。上益城郡所属。人口1万2386(2000)。南東端は宮崎県と接する。北は阿蘇外輪山,東と南は九州山地で,中央部を緑川が南西流する。中心の浜町(はままち)は,鎌倉初期に阿蘇大宮司惟次が阿蘇谷から移住して居館を構えて以来,300年以上にわたって阿蘇氏の本拠となった。近世は熊本藩領で,木材,穀物の集散地としてにぎわった。基幹産業は農林業で,米作,野菜栽培,畜産,養蚕などが行われる。特産に矢部茶がある。1970年に国民休養地の指定を受けてから観光業が急速に伸びている。一帯が矢部周辺県立自然公園に含まれ,緑仙峡,五老ヶ滝峡谷,内大臣峡などの景勝がある。重要文化財の通潤橋は,1855年(安政2)矢部手永(てなが)の惣庄屋布田(ふた)保之助が築造した緑川の支流轟川にかかる石造のアーチ橋で,2本の水道が通じ,付近の水田をうるおしている。
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山都(福島) (やまと)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山都」の意味・わかりやすい解説

山都(町)
やまと

熊本県中東部、上益城郡(かみましきぐん)にある町。2005年(平成17)阿蘇(あそ)郡蘇陽町(そようまち)、上益城郡矢部町(やべまち)、清和村(せいわそん)が合併して成立。阿蘇南外輪山と九州山地にはさまれ、東は宮崎県に隣接。北部はなだらかな高原、中央部は丘陵、南部には急峻な山地が連なる。その山地に源を発する五ヶ瀬川(ごかせがわ)は、宮崎県側からいったん町の西部に入って蘇陽峡(そようきょう)の渓谷を刻み、のち宮崎県境となって北東に流れ、東に流れをかえて再び宮崎県に入り、日向灘(ひゅうがなだ)へ向かう。同じく九州山地に発する緑川(みどりかわ)は、町の中心部を流れる大矢(おおや)川などと合流、西方に向かい、有明海に至る。蘇陽峡は、高さ100メートル以上の絶壁が10キロメートルも続く景勝地で、また緑川とその支流には、矢部四十八滝とよばれる多くの滝があり、重要な観光資源となっている。町の東部を南北に国道265号、中心部近くを東西に国道218号が走り、218号は西部で国道445号に合流。山林と原野が町域の約7割を占め、米麦作のほか、キャベツ・茶・栗などの栽培、高原での牧畜が盛ん。1854年(嘉永7)に緑川支流の轟(とどろき)川に架けられた水路橋の通潤橋(つうじゅんきょう)は、国指定重要文化財で、轟川への放水に多くの観光客が集まる。大平(おおひら)地区に伝わる清和(せいわ)文楽は県無形文化財の指定を受けている。面積544.67平方キロメートル、人口1万3503(2020)。

[編集部]



山都
やまと

福島県北西部、耶麻郡(やまぐん)にあった旧町名(山都町(まち))。現在は喜多方(きたかた)市山都町地区で、市の西部を占める。飯豊(いいで)山地の南麓(なんろく)に広がり、阿賀川(あががわ)とその支流一ノ戸川(いちのとがわ)に沿う。旧山都町は、1950年(昭和25)山都、木幡(こはた)、小川の3村が合併して町制施行。1954年相川、早稲谷(わせだに)、一ノ木の3村と合併。2006年(平成18)塩川町および熱塩加納(あつしおかのう)、高郷(たかさと)の2村とともに喜多方市に合併した。JR磐越西(ばんえつさい)線、国道459号が通じる。中心の山都地区は近世は木曽村(きそむら)と称し、越後(えちご)裏街道に沿う街村で、会津藩領山三郷の一つ木曽組の中心であった。飯豊山の登山路にあたる一ノ戸川沿いの一ノ木には飯豊山神社があり、飯豊山頂に五社権現(ごんげん)を祀る。北部は磐梯(ばんだい)朝日国立公園の一部で、川入(かわいり)は木地師(きじし)集落起源の登山口集落である。一ノ戸川筋は積雪が2メートルを超え、特別豪雪地帯に指定。産業は農林業が中心で、米作、ホップ・葉タバコ栽培、キリ材などがある。

[安田初雄]

『『山都町史』全3巻(1986~1991・山都町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山都」の意味・わかりやすい解説

山都
やまと

福島県北西部,喜多方市西部の旧町域。飯豊山地南斜面から会津盆地にかけて広がる。 1950年町制。 1954年相川村,早稲谷村,一ノ木村の3村および朝倉村の一部と合体。 2006年喜多方市,熱塩加納村,塩川町,高郷村と合体して喜多方市となった。中心地区の山都は一ノ戸川,日橋川只見川阿賀川の合流点付近にあり,江戸時代には会津藩の木曾組の中心で市も開設され,舘原には代官所が置かれた。地域の大半は飯豊山地で,かつて山間部では会津塗の素地とする木地の製造が発達していた。米作のほかタバコ,ホップ,ソバ,アスパラガス,ナメコ,シイタケなどの栽培が行なわれる。 1965年頃より弱電関係の工場が進出。一ノ木地区は飯豊参りの基地で飯豊山神社があり,門前集落の形態を示す。一部は磐梯朝日国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「山都」の意味・わかりやすい解説

山都[町]【やまと】

福島県北西部,耶麻(やま)郡の旧町。大部分山地で,南部の阿賀川(阿賀野川)の低地に主集落が発達,磐越西(ばんえつさい)線が通じる。米,野菜,ソバを産する。北部の飯豊山(いいでさん)の登山基地。2006年1月耶麻郡塩川町,熱塩加納村,高郷村と喜多方市へ編入。156.21km2。4386人(2003)。

山都[町]【やまと】

熊本県東部,阿蘇山の南に位置する上益城郡の町。2005年2月阿蘇郡蘇陽町,上益城郡矢部町,清和村が合併し町制。国道218号線,445号線,265号線,325号線が通じる。544.67km2。1万6981人(2010)。

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普及版 字通 「山都」の読み・字形・画数・意味

【山都】さんと

狒狒(ひひ)。

字通「山」の項目を見る

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