日本大百科全書(ニッポニカ) 「嘉祥寺(中国)」の意味・わかりやすい解説
嘉祥寺(中国)
かじょうじ
中国、浙江(せっこう/チョーチヤン)省紹興(しょうこう/シャオシン)府会稽(かいけい)にある寺。東晋(とうしん)の孝武帝(在位372~397)のとき、瑯(ろうや)の王薈(おうかい)が竺道壱(じくどういつ)のために建立した名刹(めいさつ)である。竺道壱は律行厳正をもって名をなし、九州都維那(といな)とよばれ、嘉祥寺も道壱の名とともに広く知られた。のちに慧虞(えぐ)、慧皎(えこう)らが住したが、梁(りょう)の慧皎はこの寺にあって『高僧伝』を著した。さらに隋(ずい)の開皇年中(581~600)吉蔵(きちぞう)が住持し、講席に連なる者1000余人に及び、三論宗の牙城(がじょう)ともいわれ、吉蔵は嘉祥(かしょう)大師とよばれた。琅邪王氏出身の王羲之(おうぎし)7代の孫である書家の智永(ちえい)もまた、この寺で読書したと伝える。
[里道徳雄]