国体思想(読み)こくたいしそう

改訂新版 世界大百科事典 「国体思想」の意味・わかりやすい解説

国体思想 (こくたいしそう)

天皇統治の正当性または日本国の優秀性を唱える思想をいう。〈国体〉の語は,政治学・法律学上その概念を使用する場合には主権の帰属いかんによって国家を区別する場合に用いられ,通常,君主国体と共和国体に区別される。しかし日本では特殊に,万世一系の天皇によって統治される優秀な国柄を表す概念として用いられ,(1)永久不滅の天皇主権を指す場合,(2)君臣の特別の情誼関係を指す場合,(3)国風文化全般を指す場合等,きわめて多義的な内容の概念として使用された。

すでに北畠親房の《神皇正統記》等に神国思想に基づく皇国論が存在したが,江戸時代に儒学が正統学になるとその中華中心主義への反発として儒学者内部から,日本こそ放伐のない,すなわち天壌無窮の神勅以来君臣の道の定まっていたすぐれた国柄であるとして,日本をたたえる思想が生まれた。次いで国学の発生により古代日本そのものを賛美する思想が生まれ,古代中国の聖人の道を賛美する徂徠学等と論争が生じた。後期から幕末にかけては,儒教的道徳とくに君臣の大義神代から行われていたとして日本の国体をたたえる後期水戸学と,より排他的な日本中心主義を唱える平田篤胤の平田国学とが,国体思想の二大潮流となった。幕末の欧米列強による開国の強要は尊王論攘夷論の結合を生み,国体思想はいっそう排外主義的ナショナリズムの様相を濃くした。

明治維新により朝廷に政権が帰し,かつ人民を直接維新政権が掌握せざるをえなかったため,国体論は天皇統治の正当性を人民に論証するためにその全エネルギーを集中した。そのため復古国学者らにより,天照大神の最高神化とそれが下したとされる神勅による正当性論が主流を占めた。また政府も1873年に新聞紙発行条目を定め,国体誹謗(ひぼう)の禁止を定めた。しかし明治10年代までは近代西欧思想の流入もあり,自由民権思想のなかにみられた契約国家論,国約憲法論や,イギリス君主制の〈君臨すれども統治せず〉を是とする福沢諭吉の《帝室論》(1883)等,さまざまな見解が存在した。明治憲法制定過程においては立憲政治への移行が国体の変更であるか否かが政府内で議論されたが,最終的には立憲政治への移行は政体の変更で国体の変更ではありえないことに決着し,伊藤博文の公認の憲法解釈書《憲法義解》にそのことが示された。そして明治憲法によって国体の基礎的原理が示され,教育勅語によってその解釈基準が示されたものとされた。しかしそこでは天皇統治の正統性が万世一系ということにあることと,若干の徳目が国体の精華として示されたにとどまったので,なぜ日本の国体が万邦無比であるのかをめぐってさまざまな見解が生じた。日清・日露戦間期には帝国主義ナショナリズムの台頭に伴って,天皇を族父とする特有の民族的結合関係から国体の優秀性を説く高山樗牛,加藤弘之らの族父統治国体論が流行し,日露戦争以降は皇室を宗家とする家族国家論的国体論が一般化していった。1911年,小学校の国定教科書の南北朝記述をめぐって南北朝正閏問題が起こったが,北朝系の明治天皇の勅裁により君臣の大義から南朝正統が決定した。

まず美濃部達吉天皇機関説上杉慎吉が天皇親政論から批判したのに対し,美濃部は国体は文化的概念であるとして法学的世界からそれを除き,吉野作造も日本国体の優秀性は特別の君臣情誼関係という民族精神の問題であるとして政治学の対象から除外し,デモクラシーと国体は矛盾しないとした。大正期には公認のイデオローグ井上哲次郎ですら《我国体と世界の趨勢》で,君主主義と民主主義の調和にこそ国体の安全があると説いた。このため,国体=あるべき国家,政体=現にある国家の意識を生じ,国体論に依拠して体制批判を行う者が労働運動内部にも現れた。しかし,1920年代には社会主義思想の流行もあり,国体の変革行動を罰する治安維持法を生み出したが,国体論に依拠しての権利主張は減少し国体論議も沈静した。

1931年の満州事変勃発以降,右翼思想の台頭にともなって国体論も活発化し,一方では国家社会主義者による一君万民論に基づく天皇制社会主義思想を生み出し,他方では公認の憲法学説であった天皇機関説を排撃した国体明徴問題が起こった(1935)。政府は国体明徴声明を出し,37年には文部省が《国体の本義》を配布した。そこでは〈大日本国体〉の冠絶性を,天地開闢神話,天照大神の聖徳,天壌無窮の神勅,三種の神器の神聖性から説き起こしてあり,神秘的な国体論がふたたび強まった。戦争の進行とともにこうした傾向は強められ,神国論や惟神(かんながら)の大道が強調され,〈やまとばたらき〉とか〈みそぎ〉が集団で実践されたりしたが,敗戦と天皇の人間宣言によりこれらの国体思想は否定された。
天皇制
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「国体思想」の意味・わかりやすい解説

国体思想
こくたいしそう

明治憲法下で、国民教育の理念として国民精神の形成に大きな影響を与え、軍部や右翼の専制の根拠とされた思想。憲法学者の佐々木惣一(そういち)によれば、国体の概念は二つに区別される。第一に、国家について、その政治の様式という面からみて、いかなる国柄のものであるかを問題とする場合、その国柄が国体とよばれる。第二に、国家について、国家における共同生活に浸透している精神的、倫理的の観念という面からみて、いかなる国柄のものであるかを問題とする場合、その国柄が国体とよばれる。第一は「政治の様式よりみた国体の概念」であり、第二は「精神的観念よりみた国体の概念」である。

 そのように佐々木は二つの国体概念を設定しているが、第一の国体概念は、従来、政体という概念によって示されてきた。ギリシアの昔以来、国家統治の総攬(そうらん)者が1人の王であるか、少数の貴族であるか、あるいは市民の全体であるかによって、君主政体、貴族政体、民主政体などが区別されている。それで倫理学者の和辻哲郎(わつじてつろう)は、政治の様式よりみた国家構成形態は、世界に通用する政体の概念をもって現すべきで、あいまいな国体の概念を用うべきではない、と反対した。では、なぜ世界に通用しない国体という概念がわが国にはあるのか。明治憲法下の日本では、わが国が世界万国に類のない万世一系の天皇によって統治され、忠孝を至高の徳目とする大家族国家であるとみられ、そういう国家体制は政体の概念では表現できないと考えられたからであろう。1890年(明治23)に発布された教育勅語に「我カ臣民克(よ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥(よよそ)ノ美ヲ済(な)セルハ此(こ)レ我カ国体ノ精華ニシテ……」とあるのは、まさにそれを示している。

 しかし、万世一系の天皇によって統治されるわが君主政体は、太平洋戦争の敗北によって主権者である日本国民の総意に基づく民主政体へ変わった。したがって国体もそれと運命をともにしたと佐々木は考えているが、和辻は、明治以前においては天皇は久しく統治権の総攬者ではなかった歴史的事実に照らし、佐々木が国体の変更とみるのは、明治以後に日本に建てられた政体が過去の日本にとって別に珍しくもない状態のほうへ一歩近づいたような変更を受けるということにすぎない、としている。そのように国体の概念を重大視しない考え方もあるが、国体の名によって傷を負わされた不幸も少なくなかった。美濃部達吉(みのべたつきち)の天皇機関説はその代表的例で、いわゆる国体明徴(めいちょう)運動のさなかに起こった事件であった。

[古川哲史]

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世界大百科事典(旧版)内の国体思想の言及

【新論】より

…この攘夷打払いと関連して,内政の整備や軍備の充実が説かれるが,長期的には,一系の天皇をいただき忠孝を基本とした日本固有の国家秩序(〈国体〉)を確立する必要があるとされる。著者の意図は内外の危機に抗して幕藩体制の基本秩序を防衛することにあり,国体論もそのためのものであったが,尊王攘夷派を中心として幕末の志士に広く読まれ,著者の意図を超えた効果をもたらしただけでなく,国体思想の点で明治以後にも重要な影響を与えた。【植手 通有】。…

※「国体思想」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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