精選版 日本国語大辞典
「在日本朝鮮人総連合会」の意味・読み・例文・類語
ざいにほん‐ちょうせんじんそうれんごうかい ‥テウセンジンソウレンガフクヮイ【在日本朝鮮人総連合会】
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デジタル大辞泉
「在日本朝鮮人総連合会」の意味・読み・例文・類語
ざいにほん‐ちょうせんじんそうれんごうかい〔‐テウセンジンソウレンガフクワイ〕【在日本朝鮮人総連合会】
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在日本朝鮮人総連合会
ざいにっぽんちょうせんじんそうれんごうかい
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を「朝鮮人民の真正な政権として支持している」在日朝鮮人団体。略称は朝鮮総聯(そうれん)ないし総聯だが、日本のマスメディアでは朝鮮総連との表記が一般的である。日本の民法上では法人格がない「権利能力なき社団」にあたる。中央本部は東京都千代田区富士見に所在。
1945年(昭和20)10月15日創立の在日本朝鮮人連盟(朝連)、その後継団体である在日朝鮮統一民主戦線(民戦)を経て、1955年5月に東京浅草公会堂で開催された結成大会により創立。北朝鮮政府の委任によって在日朝鮮人に対する旅券発給業務も行っており、日本と北朝鮮の国交がないなかで事実上の大使館機能をもつ。自らを「日本に居住する各界の同胞と団体によって構成される連合体」と定義づけており、朝鮮大学校(東京都小平市)ほか各級民族学校の運営にも携わる。活動原則として、「主体性の原則、民族性固守の原則、同胞のため服務する原則、民主主義中央集権制の原則、内政不干渉の原則」を掲げる。団体トップである中央常任委員会議長は、初代・韓徳銖(ハンドクス)(1907―2001)、二代・徐萬述(ソマンスル)(1927―2012)、三代・許宗萬(ホジョンマン)(1935― )であり、北朝鮮の立法機関である最高人民会議の代議員にも選出されている。最高決議機関は4年に1回開催される全体大会であり、中央委員会が召集するとされる。
最盛期には数十万人規模の組織だったといわれるが、公安調査庁によると「おおむね7万人」にまで縮少した(2016年2月時点)。各都道府県に地方本部を擁するほか、傘下に、在日本朝鮮商工連合会、在日本朝鮮青年同盟、在日本朝鮮民主女性同盟、在日本朝鮮青年商工会などの中央団体や、朝鮮通信社、学友書房、金剛山(クムガンサン)歌劇団など多くの事業体をもつ。機関紙は朝鮮新報社発行の『朝鮮新報』。公安調査庁から破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定されている。
[礒﨑敦仁 2020年2月17日]
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知恵蔵
「在日本朝鮮人総連合会」の解説
在日本朝鮮人総連合会
在日朝鮮人の民族的利益を代弁し、その実現と民族性を守るため活動する民族団体。正式名称は「在日本朝鮮人総聯合会」で、東京都千代田区富士見に中央本部を置く。国籍のいかんにかかわらず、「在日同胞と各団体」により構成される連合体であるとされるが、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の国家的、法的保護を受ける」団体である。
1949年に連合国軍総司令部(GHQ)に解散させられた在日本朝鮮人連盟(45年結成)を源流にして55年に設立された。50年に始まった朝鮮戦争に当たり、北朝鮮を支援する「吹田事件」が52年に起きたことなどから、破壊活動防止法に基づく調査対象団体に指定されている。民族教育の機関として各級の民族学校などを各地に展開し、文化活動として「金剛山歌劇団」などを擁し、民族芸術振興を進めている。
日本と国交のない北朝鮮政府の窓口としても機能していたため、「外交機関に準ずる機関」として総連関連施設は固定資産税の減免など、外国公館同様の扱いを受けていた。また、傘下の在日本朝鮮信用組合協会に加盟する、各地の朝鮮信用組合は、民族系金融機関として機能していた。バブル経済の崩壊後、不良債権が続出、総連資金としての流用なども相まって、信用組合の破綻(はたん)が相次いだ。これらの債務を引き受けた整理回収機構は総連中央本部の土地建物の差し押さえを申請、2013年には競売入札が行われた。同年3月の入札では、北朝鮮との関係が深い鹿児島県の「最福寺」が破格の45億円で落札したものの、代金を納められず無効となった。10月の再入札ではアヴァール・リミテッド・ライアビリティー・カンパニーなるモンゴルの企業が、3月をも上回る50億円で落札したが、同社がほぼ実体のないペーパー・カンパニーであることから、様々な臆測を呼んでいる(13年11月11日)。
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「在日本朝鮮人総連合会」の意味・わかりやすい解説
在日本朝鮮人総連合会【ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい】
在日朝鮮人の団体。略称は朝鮮総連。1945年に結成され,1949年に米占領軍の命令で解散させられた在日本朝鮮人連盟(朝連)と,その後1951年に結成された在日朝鮮統一民主戦線(民戦)を前身組織として,1955年に結成。内政不干渉の方針にのっとって,日本における革命的活動を避け,在日朝鮮人を朝鮮民主主義人民共和国の在外公民として結集し,その民族的権益を守り,祖国の統一,朝・日両国民の友好親善などを主目標とする。朝鮮大学校をはじめとする民族教育,帰国事業,祖国自由往来運動を展開。構成員20余万人(1992)。
→関連項目在日朝鮮人|在日本大韓民国民団
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世界大百科事典 第2版
「在日本朝鮮人総連合会」の意味・わかりやすい解説
ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい【在日本朝鮮人総連合会】
朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の団体。略称朝鮮総連。1955年5月,それまでの在日朝鮮統一民主戦線(民戦)を発展的に解消してつくられた。朝鮮総連は日本の内政に不干渉,朝鮮民主主義人民共和国の海外公民としての立場に立ち,在日同胞を共和国の周囲に結集させ,南・北半部の同胞との団結を強固にする,祖国の平和的統一・独立に献身する,在日同胞の民主的・民族的権利の擁護,母国語による同胞子弟の民主的民族教育の実施などの8大綱領を掲げた。
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在日本朝鮮人総連合会
ざいにほんちょうせんじんそうれんごうかい
朝鮮民主主義人民共和国を支持する在日朝鮮人の団体。朝鮮総連と略称。 1955年5月,在日朝鮮統一民主戦線が解消され,代わって結成された。朝鮮民主主義人民共和国の海外公民としての立場を堅持し,日本への同化教育を清算して民主的民族教育の充実に努力し,初等教育から大学教育まで整えている。また『朝鮮新報』をはじめ多数の新聞,雑誌を発行するなど在日朝鮮人の生活,企業活動の便を図っている。現在構成員は約 20万名で,傘下団体は約 30。
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世界大百科事典内の在日本朝鮮人総連合会の言及
【在日朝鮮人帰還協定】より
…1959年8月13日インドのカルカッタで日本赤十字社と朝鮮民主主義人民共和国赤十字会との間で結ばれた在日朝鮮人の共和国帰還に関する協定。1953年朝鮮戦争の休戦協定成立前後から在日朝鮮人の共和国への帰国希望者が出はじめ,また55年在日本朝鮮人総連合会結成以後,共和国の経済建設への参加,教育問題・生活問題の帰国による解決などの大衆的要望が出され,帰国運動を組織的に展開,11万余の帰国希望者が登録された。日本政府は59年2月,基本的人権にもとづく居住地選択の自由という国際通念の原則で閣議了解にいたった。…
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