金日成(きんにつせい)の名のもとに唱道されている朝鮮民主主義人民共和国の思想原理。自力更生論をいっそう包括的な哲学体系に発展させて,1960年代後半以降チュチェ(主体)思想と呼ぶようになった。当初は,〈思想における主体,政治における自主,経済における自立,国防における自衛〉(金日成,1965)というように,国際共産主義運動の多極化状況に対する独自の視点を強調する面が強く,マルクス=レーニン主義の一般的真理を自国の歴史的条件に創造的・自主的に適用する立場と説明されていた。それが70年代に入ると,〈チュチェ思想は人間があらゆるものの主人であり,すべてを決定するという哲学的原理〉,〈チュチェ思想は勤労人民大衆の自主性の実現をめざす革命の学説〉(金日成,1977,80)と,人間の能動性が強調されるようになった。チュチェ思想は,資本が支配する時代のマルクス=レーニン主義と共通性はもつが,労働者階級と第三世界人民が歴史の主人として登場しはじめたチュチェの時代(ほぼ第2次大戦後)にふさわしい新しい思想で,マルクス=レーニン主義が客観的物質的条件を重視したのに対し,主体的人間を決定的要因とみるものであるという。土台が上部構造を,生産力が生産関係を一方的に決定するという見方は強く否定される。古典的マルクス主義の観点からの批判や,個人崇拝の現実と思想との関係についての疑義も提起されてはいるが,この人間中心の世界観は,特に第三世界に対して積極的に宣伝されている。
執筆者:梶村 秀樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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(2008年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…一般的には〈他人の力を借りず自体の力で困難から脱出し自立的に生きていくこと〉(《朝鮮語辞典》(平壌))だが,特に中ソ論争を背景として,〈自国の革命と建設は基本的に自国人民の力量と自国の富源によって進めるべきだ〉という立場を鮮明にしたもの。この考え方が70年代にいたりいっそう包括的なチュチェ(主体)思想に発展していく。ただし,社会主義国際分業内で特化することなく自力で重工業を含む民族的自立経済を創出すべきだとの考え方は,1956年段階ですでに定まっていた。…
…金日成は早くからソ連の経済協力姿勢に疑問を抱いており,中国と共通の批判の姿勢に立ちつつもソ連との国家関係は維持し,一方,中国の〈文化大革命〉とは一線を画して中ソ論争の国内波及を強く阻止したという。この間,50年代末以来政治の中枢を担ってきたのは朴金喆,李孝淳らのいわゆる甲山派(抗日パルチザン闘争の後期に北朝鮮北部の甲山郡と対岸中国領の長白県の根拠地で活動した人々)であったが,68年のプエブロ号事件の後,ベトナム支援とも関連する対米強硬路線・対南工作のゆきづまりのなかで甲山派は失脚し,70年代以降のチュチェ(主体)思想の時代へと推移していった。 チュチェ思想は67年から金日成が唱道したものとされ,その語義には変遷があるが,〈自力更生〉論の延長線上の対外的自主独立,大国主義・支配主義反対の側面とともに,革命の主人である人民大衆の自主的創造性の強調を特徴とし,現代を第三世界人民が世界史を切り拓くチュチェの時代ととらえて,非同盟諸国の民族革命に強い関心を示している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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