地域研究(読み)ちいきけんきゅう(その他表記)area studies

改訂新版 世界大百科事典 「地域研究」の意味・わかりやすい解説

地域研究 (ちいきけんきゅう)
area studies

地理学はもともと地域の調査研究を標榜しているが,国家と民族について諸般にわたる専門的な深い知識を提供するまでにはいたらなかった。ところが第2次世界大戦中,アメリカ合衆国はアジアアフリカ共産圏等について,各国の法制,政治,経済,社会制度,国民性,社会慣習,思想,信仰,生活様式などの詳細な専門的情報と,占領地および提携国の言語を駆使できる人材とを切実に必要とした。そこで,各大学に地理学のみならず,歴史学,文化人類学,社会学,言語学政治学,経済学等の研究者からなる国別の地域研究組織を作り,それぞれの言語教育も行った。たとえばミシガン大学には日本研究所が設けられ,その初代所長には地理学者のR.ホールが就任して,エリア・スタディの指針となるガイドブック著し,戦後は岡山県下の新池に日本研究所の現地センターを設置した。ルース・ベネディクトの《菊と刀》は第2次大戦中における日本研究の成果の代表例といえる。

 こうしたアメリカ式地域研究をモデルにして,戦後の日本では渋沢敬三の提唱により六学会連合が組織され,ほどなく九学会連合に発展,〈対馬〉をはじめとする同一地域の共同調査,〈稲〉をはじめとする同一テーマの学際的シンポジウムを実施し,日本研究の発展に貢献している。外国に関する地域研究機関としては,1941年東京帝国大学に東洋文化研究所,60年には通産省所管のアジア経済研究所,64年には東京外国語大学にアジア・アフリカ言語文化研究所,京都大学に東南アジア研究センターが設置されている。
執筆者:

〈地域研究〉の名称で総括される学問動向の歴史はまだ浅く,学術・教育体制の中に確立された地歩はどこの国にもまだないが,研究上の趨勢としてはすでに不可逆である。第2次大戦中に〈汝の敵を知れ〉という軍事・政治的要請を契機に,アメリカ,イギリス,フランスなどで,臨時に大学に設けられた非西欧諸国の現代口語と各国事情の細目にわたる知識の速修講座が〈地域研究〉の直接の基礎になったが,遠くは1919年のメキシコ革命に伴ってもたらされた地域情報と展望分析,ユカタン半島その他のインディアン研究にその起源はある。第2次大戦後に,それがソ連・東欧研究,中国研究などの異なる政治イデオロギー圏の研究,ならびに日本,東南アジア,アフリカ,ラテン・アメリカ研究などの〈現代〉地域研究として定着した。

 他方で,それに,古典学の方法と伝統(言語哲学と文献学)の延長線上に開花してきた東洋学と東洋美術・文化研究(オリエンタリズム)がはぐくんだ非西欧文化世界の現代思想・文学,政治・宗教運動への関心と並行して,〈社会科学と東洋学の結婚〉を模索してきた傾向が合流する。イギリスのイスラム研究者H.A.R.ギブがその中心的人物であったが,そのとき研究対象は〈大〉文化圏であったし,社会科学の視座と方法は汎大西洋圏の経験を普遍化した〈一国世界論〉の論理を体系化したものであったので,地域研究を志向する側からの不満は早晩明確になるはずであった。

 そこに潜在した問題発想を切り開く役割を果たしたのは人類学であって,この学問は,少数民族を含め,すべての文化の価値が大文化(近代文明)と等価であること,民族文化の多様性,異質性にこそ存在理由があることを承認し主張してきたのであった。この論理的地平が行き着くのは西欧中心主義の知的体系構築に対する拒絶であるのは自然であった。こうして世界史の現在と各民族文化に対する知的探求の組織的営為は,既存の知的体系と構築のすべてに批判的となり,転換をせまることになる。そのとき〈地域研究〉は現在の異文化研究を通じて,各研究者による世界認識,自己認識を再形成させる方法手続きとなる。その成果はまだ不定形で未完成ではあっても,あらためて自然,人間(=社会),文化について価値の構成法と序列についての研究地平を開発し,〈構造〉〈記号〉論などの方法的試行と,〈象徴〉や〈儀礼〉をめぐる新たな問題の解明などによって,異同共存のシステムの共時性と通時性を提起した。アメリカの人類学者C.ギアツらは,異文化の論理と感性に内在することで固有の価値世界を構築する鍵用語と鍵概念を抽出して,異なる文化がもつ世界論を明らかにした。そのことで,単線的な世界大の〈発展段階〉論はその基礎を揺るがされたのである。

 こうして,〈地域研究〉が提起した問題は知的営為に対する課題にとどまっていて,生態学などとともに,体系拒否的で構築的ではない,との批判をする側がもつ知的構築地平の単眼的視座をかえってえぐり出した。第1次大戦が〈現代認識〉の方法としての〈国際関係論〉を生んだように,第2次大戦は〈地域研究〉を生んだといえるが,同時にそれがもたらした現代の〈国民国家〉体制は,民族文化の一体性を政治的に限定することで,かえって文化の内容を国家の単位で分断して,国民国家の内部にある多様性と重層構造を許容できないでいるという実態をも〈地域研究〉は明らかにするのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「地域研究」の意味・わかりやすい解説

地域研究
ちいきけんきゅう
area studies

広義でとらえれば地域問題の研究であるが、本来は地理学の一分野として位置づけられていた。しかし、1930年代に国際関係論研究が促進されてくると、地理学を超えた形での地域研究が要請され、国際的視野に基づく地域および国家に関する歴史、政治、経済、社会制度、文化などの具体的かつ専門的情報を求めるための研究が推進された。国際関係論と相互補完関係にたつ地域研究は、30年代から第二次世界大戦にかけてアメリカで飛躍的に発展し、ミシガン大学の日本研究所をはじめとして多くの大学で地域研究組織が設立された。爾来(じらい)、今日に至るまで、おもに先進諸国において学際的研究を基盤とした地域研究が盛んに行われるようになっている。その結果、一定地域(あるいは国)の「個性」的側面が認識され、それに基づく世界秩序論や国際関係論が構築されつつある。日本においても大学や政府系の地域研究組織が活動しているが、近年、諸大学で国際関係論を主とする学部・学科が設立されているのにかんがみれば、それを補完する意味でも日本における地域研究は独特の視点と情報収集に基づきなおいっそうの進展を図らねばならないといえよう。

[青木一能]

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百科事典マイペディア 「地域研究」の意味・わかりやすい解説

地域研究【ちいきけんきゅう】

一定の空間的広がり(地域)に対して社会学,歴史学,文化人類学,政治学,言語学,地理学等がそれぞれの立場からアプローチし,当該地域の構造・機能・特性を明らかにしようとする研究。英語area studyに相当する。地域の調整研究は地理学の課題として期待されてきたが,とりわけ第2次大戦中の米国で世界各国,各民族の,法利・政治から信仰,社会習俗まで詳細な専門的情報が必要とされた際,地理学はこれに応えることができず,各大学に上記の諸学問の研究者からなる国別の地域研究組織がおかれた。戦後日本でも,この米国式地域研究をモデルにして,九学会連合が組織されたほか,さまざまな試みがなされた。現在,地域研究の発展とそのための施設の必要性が次第に共通認識になってきている。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「地域研究」の意味・わかりやすい解説

地域研究
ちいきけんきゅう
area studies

現代の生きた国際社会を対象とし,既成の学問方法にとらわれない学際的なアプローチを駆使した外国研究。 19世紀以来欧米で体系化された理論では,もはや今日の多様な世界像をとらえることはできないとの反省から,それぞれの地域がもつ独自の歴史や政治文化をふまえた新しい外国研究としての地域研究が生れた。グローバルな視点に立った国際関係論と結びつくことにより,相互依存関係を深めつつある今日の複雑な国際社会をとらえうる,新たな時代の総合的な社会科学としての発展が期待される。

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