関東地方にある33か所の観音(かんのん)霊場。当地方から西国(さいごく)三十三所を巡拝するのは容易でないため、鎌倉時代の初期に、信仰の便宜を図って坂東八か国に選定されたもの。その分布は、相模(さがみ)8、武蔵(むさし)6、上総(かずさ)3、下総(しもうさ)3、上野(こうずけ)2、下野(しもつけ)4、常陸(ひたち)6、安房(あわ)1である。
将軍源頼朝(よりとも)の観音信仰は有名で、これが当地方に観音霊場が設けられるに至った一助ともいわれる。鎌倉時代には頼朝はじめ武士の参詣(さんけい)者が多かったが、江戸時代になると庶民の巡礼が盛んとなり、坂東三十三所に加えて、秩父(ちちぶ)三十三所(実際は三十四所)および西国三十三所を巡る百か所詣(まい)りも行われるようになった。
札所の順路は、相模国鎌倉の第一番杉本寺に始まり、武蔵、上野、下野、常陸、下総、上総を経て安房の第33番那古(なこ)寺に至る。なかでも有名なのは第四番の長谷寺(はせでら)(鎌倉)、第13番の浅草寺(せんそうじ)(東京)、第18番の中禅寺(日光)である。鎌倉長谷寺の本尊十一面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は奈良の長谷寺と同木異体であると伝える巨大な木像である。
浅草寺の本尊聖(しょう)観世音菩薩は浅草(あさくさ)観音として知られ、628年(推古天皇36)に檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成兄弟が宮戸川で漁労中、網にかかったものといわれる。中禅寺の本尊十一面千手(せんじゅ)観世音菩薩は、奈良時代の僧勝道上人(しょうにん)が中禅寺湖の湖上に現れた千手観音の姿を立ち木のままの桂(かつら)の木に急いで彫ったものという縁起をもち、立木(たちき)観音とよばれる。
[平井俊榮]
『清水谷孝尚著『坂東観音霊場記』(1972・金声堂)』
坂東三十三ヵ所観音霊場巡(順)礼ともいう。関東地方一円に広がる観音霊場を巡る巡礼コースで,西国三十三所の影響を受けてできたもの。後に,西国三十三所,秩父三十四所とともに日本百観音霊場を構成する。成立したのは鎌倉時代の初頭で,将軍源頼朝の観音信仰を契機としたともいわれる。鎌倉時代にこの霊場を参籠しながら巡礼したのは修行僧で,一般の人々が参加するのは14,15世紀のことである。足利市の鑁阿(ばんな)寺には当時の巡礼札が納められ,武士や庶民の名がみられる。江戸時代には町人や農民の巡礼で大いににぎわった。坂東三十三所の霊場寺院には,平安時代末期すでに成立していた名刹が多く,立木観音,なた彫像,石像など,関東特有の伝統と様式をもつ観音像がみられる(表参照)。
執筆者:中尾 尭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新