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坪田譲治 つぼたじょうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

坪田譲治
つぼたじょうじ

[生]1890.6.3. 岡山,石井
[没]1982.7.7. 東京
小説家,児童文学者。 1915年早稲田大学英文科卒業。小川未明の門に入り,『正太の馬』 (1920) を初めとする「正太もの」で好評を得た。『お化けの世界』 (35) ,『風の中の子供』 (36) ,『子供の四季』 (38) で児童文学者としての地位を確立。

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デジタル大辞泉の解説

つぼた‐じょうじ〔‐ジヤウヂ〕【坪田譲治】

[1890~1982]小説家・児童文学者。岡山の生まれ。「赤い鳥」などを通して日本の新しい創作童話の世界を開拓した。作「お化けの世界」「風の中の子供」「子供の四季」など。

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百科事典マイペディアの解説

坪田譲治【つぼたじょうじ】

小説家。児童文学者。岡山県生れ。早大英文科卒。小川未明を訪ねて文学を志す。小説《正太の馬》などを発表する一方,また《赤い鳥》に童話を書いた。1935年の短編小説《お化けの世界》で文壇の注目を受け,続いて《風の中の子供》《子供の四季》を新聞に連載,小説家として認められる一方,1935年童話集《魔法》《狐狩り》も刊行,以後両分野で活躍した。
→関連項目赤い鳥清水宏長谷川摂子松谷みよ子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

坪田譲治 つぼた-じょうじ

1890-1982 大正-昭和時代の小説家,児童文学者。
明治23年3月3日生まれ。小川未明に師事。「赤い鳥」に「河童(かっぱ)の話」「善太と三平」などの童話を執筆。昭和38年童話雑誌「びわの実学校」を創刊。芸術院会員。昭和57年7月7日死去。92歳。岡山県出身。早大卒。作品に「お化けの世界」「子供の四季」「鶴の恩がへし」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

つぼたじょうじ【坪田譲治】

1890‐1982(明治23‐昭和57)
小説家。童話作家。岡山県の生れ。早稲田大学英文科卒業。早大図書館につとめたのち,家業の島田製織所に就職,かたわら1919年に亀尾英四郎相良守峯らと同人誌《地上の子》を創刊,《正太の馬》《正太の故郷》などを発表して小説修業にはげむ。26年に処女短編集《正太の馬》を刊行,文学と家業の二足のわらじがつづいたが,33年には経営権をめぐるいざこざから島田製織所をやめ,文学一筋の背水の陣をしいた。35年,山本有三の紹介で雑誌《改造》に《お化けの世界》が発表され,好評を博した。

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大辞林 第三版の解説

つぼたじょうじ【坪田譲治】

1890~1982) 児童文学者・小説家。岡山県生まれ。早大卒。「赤い鳥」などに童話を発表。独特な童心の世界を描く。作「正太の馬」「お化けの世界」「子供の四季」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

坪田譲治
つぼたじょうじ
(1890―1982)

小説家、児童文学者。明治23年3月3日、岡山県に生まれる。1908年(明治41)早稲田(わせだ)大学文科予科に入学。在学中小川未明(みめい)に師事するが、病気や入営などで退学・再入学を繰り返したのち、15年(大正4)早稲田大学英文科を卒業。その後帰郷して家業の製織所に勤め、家業と文筆との苦しい生活が続く。26年『正太の馬』を出版。同年『赤い鳥』に最初の童話『河童(かっぱ)の話』を発表。その後同誌発表の『善太と汽車』で鈴木三重吉(みえきち)の激賞を受け、『ろばと三平』『どろぼう』『魔法』『びわの実』など40編余りを『赤い鳥』に発表する。33年(昭和8)以後は文筆に専念、35年『改造』に発表した『お化けの世界』は好評を得、出世作となった。36年9月から『朝日新聞』に連載された『風の中の子供』は、子供の心情が社会とかかわるところで描かれた作品で、文壇的地位を確固たるものにした。38年には『子供の四季』を『都新聞』に連載、翌年新潮社文芸賞を受賞。54年(昭和29)『坪田譲治全集』全八巻が刊行され、この全集で翌年芸術院賞を受賞。63年には童話雑誌『びわの実学校』を創刊。64年芸術院会員となる。昭和57年7月7日、92歳で没す。[征矢 清]
『『坪田譲治全集』全八巻(1954・新潮社)』

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世界大百科事典内の坪田譲治の言及

【赤い鳥】より

…明治以来,芸術的価値の世界と教育の世界が隔絶されていたのを文章によって結合させ,〈人間教育としての綴方〉を確立させていった。また,ここから坪田譲治新美(にいみ)南吉などの児童文学者を生むとともに,全国に多くの綴方教師を生んだ。昭和期に入ると,その文芸主義的,自由主義的傾向が克服されながら,生活綴方の運動を生み出す母胎となった。…

【児童文学】より

…童話が,思い出をモティーフにすることでリアリティをもつようになったのは,昭和に入ってからのことで,回想的・私小説的方法でリアリズム児童文学が成立し,固定化するようになったが,これは現代の児童文学をかなりつよく特質づけている問題である。千葉省三は《虎ちゃんの日記》(1925)をはじめとする一連の作品で,酒井朝彦は〈木曾もの〉と呼ばれる作品で,郷愁と結びついたリリシズムを描き,また坪田譲治は〈善太・三平もの〉でリアルな児童像を造形して,それぞれにこの時期を代表している。 小川未明や秋田雨雀をさきがけとして社会性のある主題は児童文学のものになってきたが,それを決定的なものにしたのは昭和初年のプロレタリア児童文学運動で,槙本楠郎,猪野省三,川崎大治たちが活躍した。…

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