埋忠明寿(読み)ウメタダミョウジュ

デジタル大辞泉 「埋忠明寿」の意味・読み・例文・類語

うめただ‐みょうじゅ〔‐ミヤウジユ〕【埋忠明寿】

[1558~1631]桃山時代刀工鐔工つばこう京都の人。埋忠家初代新刀開祖。特に刀身の彫り物にすぐれ、鐔作りでも象嵌ぞうがん色絵の技に巧みで「葡萄胡蝶象嵌鐔」は有名。うめのただめいじゅ。

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精選版 日本国語大辞典 「埋忠明寿」の意味・読み・例文・類語

うめただ‐みょうじゅ【埋忠明寿】

  1. 安土桃山から江戸初期の鐔工(たんこう)、刀工。埋忠家初代。京都の人。橘氏。名は重吉通称彦次郎。別号鶴峯。将軍家に仕え、象嵌(ぞうがん)色絵の技法による鐔(つば)を制作。新刀の開祖でもある。永祿元~寛永八年(一五五八‐一六三一

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改訂新版 世界大百科事典 「埋忠明寿」の意味・わかりやすい解説

埋忠明寿 (うめただみょうじゅ)
生没年:1558-1631(永禄1-寛永8)

桃山から江戸初期の刀工,鐔(たん)工。名を重吉,あるいは宗吉といい,通称を彦次郎,入道して明寿と称した。京都西陣に住んだ。埋忠家は刀の磨上,金象嵌(ぞうがん)の施入,拵(こしらえ)や金具の製作を組織的に行った工房であり,明寿はその指導的立場の人とみられ,足利義昭,豊臣家,徳川家の御用を務めたと伝えられる。刀剣においては刀身に玉追竜や不動明王などの図様を彫り,前時代にはない新生面をみせる。また門下肥前忠吉,安芸輝広らの逸材を出して,新刀(桃山時代以降の刀)の祖といわれている。短刀に傑作が多い。しかし,作刀は明寿一族のために製作したものが多く,余技的なものであったと解される。むしろ明寿の真価は鐔(つば)の製作にある。彼以前の鐔の地金は鉄一色であったが,彼はシンチュウ赤銅,素銅などの素材をも用い,これに金,銀,赤銅,素銅などの色金を線・平・布目象嵌の技法を駆使して色彩的効果を高めることに成功した。代表作には刀剣では慶長3年紀の太刀,鐔では柏樹文鐔などがある。一門には明真,寿斎,重義,光忠らがおり,幕末までその門流は栄えた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「埋忠明寿」の意味・わかりやすい解説

埋忠明寿
うめただみょうじゅ
(1558―1631)

安土(あづち)桃山時代から江戸時代初期に活躍した京埋忠派の金工。明欽(みょうきん)の子で三条宗近(むねちか)25世の孫と埋忠系図はいうが、もとより信憑(しんぴょう)性はない。通称を彦次郎、初め重吉または宗吉といい、のち明寿と号した。刀剣を製作して新刀(慶長(けいちょう)以来の刀剣の呼称)の祖と称されているが、刀剣製作は余技的なもので、不動尊、玉追龍などの刀身彫に力を注いだものとみられる。このように実用本位の刀剣から鑑賞的なものへと意識を変えた先覚者としての役割が、新刀の祖という敬称を与えたものであろう。現存する鐔(つば)の作品は、素銅、赤銅、真鍮(しんちゅう)、鉄などさまざまな地金を用いて、それに金、銀、赤銅、素銅などの色がねを象眼(ぞうがん)して、桃山風の大胆な構図で葡萄(ぶどう)文、枇杷(びわ)文、九年母(くねんぼ)文、松竹文などの文様を表している。また鉄地には透彫りをして雷(いかずち)文などの金象眼を施したものがある。そのほか、拵(こしらえ)、鎺(はばき)の製作、刀剣の磨(すり)上げなどの仕事に従事している。

[小笠原信夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「埋忠明寿」の意味・わかりやすい解説

埋忠明寿
うめただみょうじゅ

[生]永禄1(1558)
[没]寛永8(1631).京都
桃山時代末期~江戸時代初期の代表的な刀工,鐔 (つば) 工。京都西陣に住む。埋忠派の始祖。橘氏,名は重吉または宗吉,通称彦次郎。別号は鶴峰。足利義昭に仕え,豊臣秀吉,秀次,徳川秀忠などの知遇を得たと伝えられる。新刀の祖と称され,刀剣の彫り物にすぐれていた。門人に肥前国の忠吉,輝広などの名工がいる。鐔工の技術では鉄,真鍮,赤銅などの地に金銀の布目象眼,また,金,銀,赤銅,素銅などの色金を使って,彼の創案した平象眼で花樹,胡蝶などを色彩豊かに表わすのが特色。図様は宗達風。代表作『葡萄胡蝶図象眼鐔』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「埋忠明寿」の解説

埋忠明寿 うめただ-みょうじゅ

1558-1631 織豊-江戸時代前期の装剣金工,刀工。
永禄(えいろく)元年生まれ。金,銀などの色金(いろがね)を多用した平象眼(ひらぞうがん)の技法で,絵画的なデザインの鐔(つば)を制作しその芸術性をたかめた。新刀(慶長以降の刀剣)の祖として知られ,短刀がおおい。豊臣家,徳川家などの御用をつとめた。寛永8年5月18日死去。74歳。京都出身。名は重吉,宗吉。通称は彦次郎。

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百科事典マイペディア 「埋忠明寿」の意味・わかりやすい解説

埋忠明寿【うめただみょうじゅ】

桃山〜江戸初期の刀工,鐔工(たんこう)。埋忠家の初代で,氏は橘,名は重吉,通称彦次郎。京都西陣に住んだ。新刀鍛冶(かじ)の開祖といわれる。鐔作(つばづくり)では象嵌(ぞうがん)色絵の技法にすぐれ,桃山芸術の華麗さを鐔の世界に導入した。代表作〈葡萄胡蝶図象嵌鐔〉。
→関連項目鐔/鍔

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世界大百科事典(旧版)内の埋忠明寿の言及

【金属工芸】より


[近世から近代へ]
 桃山時代から江戸時代初期には,釘隠(くぎかくし)や襖の引手など建築金物と,刀剣装具にみるべきものが多い。この時代の装剣金工家として,天正大判を作った後藤家5代徳乗,真鍮地の鐔に金,銀,赤銅(しやくどう)などを象嵌して独自の作風をあらわした埋忠(うめただ)明寿,布目象嵌で細密な技巧を示した林又七らがいる。これに続いて横谷宗珉,土屋安親,奈良利寿(としなが)などの名工が現れた。…

【鐔∥鍔】より

…桃山時代に入り,京や尾張に透彫の鉄鐔をもっぱら製作する集団があり,従来の透彫鐔に一段の進歩をみせた。また山城西陣の埋忠(うめただ)明寿は各種の色金を用いて文様を平象嵌の技法で表し,色彩的な変化を与え,さらに平田道仁は七宝技術を取り入れ,ますます装飾性を加えることとなった。 江戸時代初期には九州肥後に肥後金工が繁栄し,林,西垣,志水,平田の諸派が大きな勢力を誇った。…

【山城物】より

…これら江戸時代以前の山城物の作風は時代の好み,戦闘形態などによって変化するが,概して均整がとれ,鍛(きたえ)は小板目がつんで地沸(じにえ)が細かにつき,刃文は小沸出来の直刃(すぐは)を基調とするなどが特徴としてあげられる。 江戸時代に入ると山城鍛冶も再び活況を呈し,西陣に埋忠明寿(うめただみようじゆ)が出た。埋忠家は元来,刀の磨上げ,拵(こしらえ)・金具の製作を家業としていたが,明寿は作刀にも長じ,それまでの古刀期にはなかった濃厚な彫物を施した装飾豊かな作風を展開し,新刀の祖といわれている。…

※「埋忠明寿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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