出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市伏見(ふしみ)区下鳥羽(しもとば)に鎮座。神功(じんぐう)皇后、大国主命(おおくにぬしのみこと)、国常立尊(くにのとこたちのみこと)を祀(まつ)る。創建年代不詳。社伝では、仲哀(ちゅうあい)天皇のとき、神功皇后の兵船上につけた旗とともに、神功皇后、大国主命の霊を奉斎したのが起源という。城南とは平安京都城の南の意。1087年(寛治1)鳥羽離宮が建設されたのはこの付近で、承久(じょうきゅう)の変(1221)時、後鳥羽(ごとば)上皇が兵を集めたのはこの地。また、明治維新における鳥羽・伏見の戦いの戦跡である。例祭7月20日。1961年(昭和36)境内に楽水苑(えん)を開園。
[鎌田純一]
…庶民社会では方違神社参詣の俗信が興り,禁忌の方向に対して舎宅を構えたり,窓や垣を開いたり塞いだり,あるいは旅行・回船の門出などをなすものは,この神社に参れば方違の意味が生ずるとするもので,大阪府堺市の方違神社は有名である。京都では洛南鳥羽の城南宮(真幡寸(まはたき)神社)が有名で,禁忌の方向に造作したり,転宅したりするとき,境内の土を持ち帰ってまけば,祟りを避けられるという。かくて方忌呪術の簡略化の結果は方違本来の意味をまったく一変させてしまったのである。…
…鳥羽法皇は56年(保元1)に安楽寿院御所で没し,遺体は同所の三重塔に葬られた。【川上 貢】
[鳥羽殿跡]
現在の京都市伏見区竹田および中島の地にあたり,安楽寿院,北向不動,城南宮と白河天皇,鳥羽天皇,近衛天皇の各陵を含める地域のことを指す。1960年からの発掘調査の結果,北殿は早いころの鴨川のはんらんで跡をとどめず,南殿はこの区域を南北に貫く国道1号線の西方にある築山の名ごり〈秋の山〉(鳥羽離宮跡公園)を含めてその南に遺跡を認め,田中殿は名神高速道路の京都南インターチェンジの南,東殿は安楽寿院付近に,馬場殿は城南宮とその東にあると推定される。…
※「城南宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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