コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

埴谷雄高 はにやゆたか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

埴谷雄高
はにやゆたか

[生]1910.1.1. 台湾,新竹
[没]1997.2.19. 東京,武蔵野
小説家,評論家。本名,般若 (はんにゃ) 豊。日本大学予科在学中に左翼運動で検挙されて中退 (1930) ,相次ぐ検挙,投獄ののち転向し,小説やアフォリズムを書きはじめた。 1946年『近代文学』創刊に参加,革命運動の意味分析,自我と存在の形而上学を追求した長編『死霊』 (46~49) を書きはじめ,戦後世代の思想形成に大きな影響を与えた。政治,社会に関する発言も多く,評論集『濠渠 (ほりわり) と風車』 (57) ,『幻視のなかの政治』 (60) ,『罠と拍車』 (62) などがある。その後,長い時期をおいて『死霊』第5章を 75年に発表し,日本文学大賞を受賞した。 81年には第6章,84年に第7章,86年に第8章,95年に第9章を発表したが作品としては未完に終った。ほかに短編集『虚空』 (1960) ,『闇のなかの黒い馬』 (70,谷崎潤一郎賞受賞) などがある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

埴谷雄高【はにやゆたか】

小説家,評論家。本名般若豊。台湾の新竹生れ。日大予科中退。少年時代ロシア文学を耽読。1932年不敬罪等で起訴,刑務所内でカントの《純粋理性批判》を読み,多大の影響を受ける。
→関連項目岡本太郎戦後派高橋和巳

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

埴谷雄高 はにや-ゆたか

1909-1997 昭和-平成時代の小説家,評論家。
明治42年12月19日台湾新竹生まれ。昭和6年共産党に入党し,翌年検挙される。20年「近代文学」創刊に参加,人類や宇宙の全存在を問う長編小説「死霊」の連載をはじめる。51年「死霊 全5章」で日本文学大賞。平成7年9章を発表したが,未完におわる。思想面でもスターリニズム批判をふくむ多様な論争を展開して,戦後世代におおきな影響をあたえた。平成9年2月19日死去。87歳。日大予科中退。本名は般若(はんにゃ)豊。著作はほかに「幻視のなかの政治」「影絵の世界」「闇のなかの黒い馬」など。
格言など】政治の幅はつねに生活の幅より狭い(「権力について」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

大辞林 第三版の解説

はにやゆたか【埴谷雄高】

1910~1997) 小説家。台湾生まれ。日大予科中退。存在の革命と自同律の不快(私が私であるということの不快)という形而上学的な主題を追求した思想小説「死霊」全九章を、長年の中断をはさみ書き継ぐ。著「闇の中の黒い馬」、政治評論「幻視のなかの政治」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

埴谷雄高
はにやゆたか
(1909―1997)

小説家、評論家。本名般若豊(はんにゃゆたか)。明治42年12月19日(戸籍上は翌年1月1日)、旧植民地台湾で生まれ、13歳のとき東京に移住。そのころよりロシア文学に親しむ。1928年(昭和3)日本大学予科に入学、演劇活動を通じてアナキズムに関心を抱くが、まもなくマルクス主義に移り、左翼農民運動に参加。31年日本共産党に入党し、日本最初の農業綱領草案作成のメンバーになったが、翌年逮捕、豊多摩(とよたま)刑務所未決監で1年余りを過ごした。独房での思索とそこで読んだカントの『純粋理性批判』が後年の思想の核となったという。転向出獄後、語学、ドストエフスキー、悪魔学などにふけり、39年から2年間、同人誌『構想』に詩と論理を一体化させたアフォリズム『不合理ゆえに吾(われ)信ず』を連載する。46年(昭和21)平野謙(けん)、本多秋五(ほんだしゅうご)、荒正人(あらまさひと)、佐々木基一らと『近代文学』を創刊、壮大な構想の観念小説『死霊(しれい)』の連載を開始した。結核再発のため『死霊』は4年で中絶したが、55年ごろから、形而上(けいじじょう)学的な発想に基づく独自の文学論や、いっさいの権力の否定を唱える政治論文、その他さまざまなエッセイを、息の長い独特の文体で精力的に書き続け、『濠渠(ほりわり)と風車』(1957)以下の評論集や『幻視のなかの政治』(1960)にまとめた。70年、夢と妄想を宇宙に広げた短編集『闇(やみ)のなかの黒い馬』を刊行、谷崎潤一郎賞を受けた。この間、自伝的エッセイ『影絵の世界』(1966)、『影絵の時代』(1977)なども出している。75年、26年間中絶のままになっていた『死霊』の5章「夢魔の世界」を発表して話題となり、81年6章、84年7章、さらに86年、8章「月光のなかで」、95年(平成7)に9章を発表した。平成9年2月19日死去。[曾根博義]
『『埴谷雄高作品集』15巻・別巻1(1971~82・河出書房新社) ▽『埴谷雄高全集』全19巻・別巻(1998~2001・講談社) ▽白川正芳著『埴谷雄高論』増補版(1972・冬樹社) ▽森川達也著『埴谷雄高論』(1968・審美社) ▽立石伯著『埴谷雄高の世界』(1971・講談社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の埴谷雄高の言及

【死霊】より

…埴谷雄高(はにやゆたか)(1910‐97)の小説。《近代文学》1946年1月号~49年11月号に第4章までを連載したが中絶。…

※「埴谷雄高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

埴谷雄高の関連キーワード死霊(埴谷雄高の小説)ボルィンスキーアンドロメダ忌佐々木 基一菅谷 規矩雄アフォリズム第三の新人埴谷 雄高小海 智子伊東 三郎佐々木基一内向の世代小田切秀雄全身小説家戦後派文学青年の環渋谷定輔平野 謙吉本隆明戦後文学

今日のキーワード

OAR

2018年の平昌五輪に国家資格ではなく個人資格で参加したロシア国籍の選手のこと。「Olympic Athlete from Russia(ロシアからの五輪選手)」の略。14年ソチ五輪での組織的なドーピ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

埴谷雄高の関連情報