堂之上遺跡(読み)どうのそらいせき

日本歴史地名大系 「堂之上遺跡」の解説

堂之上遺跡
どうのそらいせき

[現在地名]久々野町久々野

飛騨川と八尺はつしやく川の合流する北側に舌状に張出した丘陵状台地に位置する。国指定史跡。昭和四八年(一九七三)から五四年まで七次にわたる発掘調査により、四三基の竪穴住居跡、二〇〇以上の土壙、集石などを検出。住居跡は縄文時代前期から中期末にかけて各期のものが知られ八期に分類される。一期(五基)は神之木式併行期で住居の平面形は方形を呈し、四本柱・周溝・地床炉をもつ。二期(四基)は北白川下層II式期で平面形がすべて円形を呈し柱穴が多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「堂之上遺跡」の解説

どうのそらいせき【堂之上遺跡】


岐阜県高山市久々野町にある集落跡。北アルプス西部を南流する飛騨川上流部、飛騨川本流と八尺川の合流地点近くの標高約700mの高地にあり、約7500m2の小舌状台地に残る遺跡。1897年(明治30)には学界に報告されており、その後の本格的な発掘調査の結果、縄文時代前期~中期の竪穴(たてあな)住居43棟からなる集落跡が確認されて、中期後半には広場を囲む環状集落が形成されていたことがわかった。中央広場には200ヵ所以上の立石や集石、土坑の痕跡があり、土坑の中にはクリやハシバミクルミなどの堅果類を含むものがあった。土器には、関東・信州・東海・近畿各地方の影響がみられ、石棒を立てた石囲い炉や埋甕(うめがめ)の風習をともなう住居跡、複式炉をもつ敷石住居跡などがあった。日本のほぼ中央に位置するこの遺跡は、縄文時代の生活と祭祀、文化的交流のあり方を知るうえで重要なものである。1980年(昭和55)に国の史跡に指定された。集落跡は史跡公園になっており、園内には当時の暮らしを伝える竪穴住居が復元されている。隣接する久々野(くぐの)歴史民俗資料館には、出土品約200点や農具民具など約350点の資料を展示している。JR高山本線久々野駅から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の堂之上遺跡の言及

【飛驒高地】より

…また,高地北部は日本海側気候で冬季の積雪が深く,長年にわたり生活や交通の障害となってきた。 しかし,1000mをこえる山間地からも石器や縄文土器が出土することや,縄文時代の住居跡も,岐阜県大野郡久々野(くぐの)町の堂之上(どうのそら)遺跡(史)のような大規模なものが発掘・調査されていることから,飛驒高地における人間の居住の歴史はかなり古いものと推測される。大化改新以前には飛驒国造(くにのみやつこ)がおかれ,奈良時代には高山に飛驒国分寺が建立された。…

※「堂之上遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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