塩津村(読み)しおつむら

日本歴史地名大系 「塩津村」の解説

塩津村
しおつむら

[現在地名]中山町塩津

下甲しもぎ村の西、きのえ川河口左岸に位置し、北は日本海に臨む。汗入あせり郡に属し、拝領高三二七石余、本免四ツ八歩。国田氏・栗田氏・安養寺氏の給地があった(給人所付帳)幕末の六郡郷村生高竈付では生高三八九石余、竈数五〇。藪役銀一四匁を課されていた(藩史)。栗田氏の年貢米納所先は御来屋みくりや(現名和町)の石見屋や喜伝次のところであった。文久三年(一八六三)船積みによる赤崎あかさき御蔵(現赤碕町)への年貢米納願が許可になっている。享和三年(一八〇三)松平肥後守の廻米船がおか村沖で難破し、当村もその救援活動を行ったが、その礼金が庄屋や年寄に対して与えられている(在方諸事控)


塩津村
しおつむら

[現在地名]中島町塩津

七尾湾西海岸南部に位置し、北は笠師かさし村、東方に海を隔てて和倉わくら(現七尾市)能登島(現能登島町)を望む。東部には常緑広葉樹が茂る陸繋島から島がある。天正八年(一五八〇)から長連竜領で、文禄二年(一五九三)の鹿島半郡高帳に村名がみえ、高四一三石余。正保郷帳では塩津村・笠師村の高一千一七〇石余、田方六七町一反余・畑方一〇町八反余。寛文一一年(一六七一)の鹿島半郡高免付帳(長文書)によると高五一四石、免六ツ一歩九厘。同年加賀藩直轄領となり、延宝七年(一六七九)の村御印(塩津区有文書)では高六八一石、免四ツ五歩、小物成は山役一七一匁・苦竹役一七匁・鳥役六匁・猟船櫂役二五匁。


塩津村
しおつむら

[現在地名]焼津市栄町さかえまち五―六丁目・本町ほんまち二丁目・塩津

焼津村の北に位置し、北は大村おおむら新田。益津ましづ郡に属する。応永九年(一四〇二)六月六日の管領畠山基国奉書(美吉文書)益頭ましず庄内塩津とみえ、摂津幸夜叉丸(満親)の所領である当郷など三郷が駿河守護今川泰範の被官人に押妨されており、この日室町幕府は泰範に対し、その妨げを止め下地を幸夜叉丸の代官に交付するよう命じている。江戸時代領主変遷大村と同じ。寛永一九年(一六四二)の田中領郷村高帳では高三六八石余。元禄郷帳では高三七二石余。


塩津村
しおつむら

[現在地名]豊岡市塩津塩津町

立野たちの村の南に位置する。北は円山まるやま川を隔てて大渡豊岡城下京口きようぐち町と結び、出石いずし道の起点。もと今森いまもり村の枝村(天保郷帳)。江戸時代の領主の変遷は立野村に同じ。宝暦七年(一七五七)の但馬国高一紙によると高五五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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