那覇市の南西約四一〇キロに位置する八重山諸島の主島。一島すべてが石垣市の市域。方音イシャナギィ。王府時代には八重山の行政庁である蔵元が置かれ、周辺離島を
「続日本紀」和銅七年(七一四)一二月五日条にみえる南島の
面積二二二・四八平方キロの高島で、県内では沖縄島・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
沖縄県八重山列島の主島。無人の尖閣諸島とあわせて石垣市をなす。面積221km2。沖縄本島の南西450km,台湾から260kmに位置する。島の輪郭は,正方形をなす主体部と,北東に約16km突出する平久保(ひらくぼ)半島および北西の半島部に3区分される。主体部の北には,県下最高峰の於茂登(おもと)山(526m)を筆頭とする山地が東西に連なる。南はバンナ岳(230m)を最高位とする台地,丘陵地となり,南に流出する宮良(みやら)川と西に流れる名蔵(なぐら)川とがあり,サトウキビ,パイナップルの農耕地として利用されている。平久保半島は,山地と縁辺の段丘面からなり,山地斜面から段丘面にかけては放牧場としての利用が進んでいる。島の地質は,火成岩,古生層,第四紀の礫層(れきそう),琉球石灰岩よりなり,県内で最も地質の多様な地域の一つである。台風の常襲地帯で,1896年創設の石垣島地方気象台がある。石垣島における集落の展開は,マラリア病と深くかかわっている。第2次世界大戦前は,島の大部分がマラリア病の有病地域であり,無病地域は南の沿岸部一帯に限られていた。無病地域に分布する集落は,石垣市街地を形成する四箇(しか)(石垣,大川,新川(あらかわ),登野城(とのしろ)の4集落の総称)と,平得(ひらえ),真栄里(まえざと),大浜,宮良,白保で,これらは歴史的にも古い集落である。有病地域の多くの集落が廃村となった中で,今日まで存続しているのは,川平(かびら),伊原間(いばるま),平久保の3集落である。首里王府は,村が廃絶した地域へ再三周辺離島より強制移住を行ったが,いずれも失敗した。1771年(明和8)の大津波は,無病地域の集落にも多大の被害を与え,大浜,宮良,白保は周辺離島からの強制移住によって再建されている。第2次世界大戦後,マラリアの防遏(ぼうあつ)が進み,1962年撲滅が宣言された。以前の有病地域に沖縄本島や宮古島からの移住による,多くの開拓集落が形成された。近年,宮良川流域を中心とする大規模な土地改良事業や,畜産基地建設事業などの産業基盤整備事業が進捗(しんちよく)しており,国立熱帯農業研究センター沖縄支所(現,国際農林水産業研究センター沖縄支所)が設置されている。
作物の収穫生産額は,サトウキビ,タバコ,野菜,稲,パイナップルの順に多い。1930年島に導入されたパイナップルは,沖縄本島北部とともに県内における二大産地の一つである。これらの農産物は,島の製造業のパイナップル缶詰,ジュース,製糖とも結びついている。さらに,島内のいたるところに放牧場があり,肉用牛を中心に畜産業も盛んになっているほか,かまぼこやイカの薫製などの水産加工品は,代表的産物の一つである。また伝統的な麻織物である八重山上布の特産がある。宮良殿内(みやらどんち)(重要文化財),川平貝塚(史),フルスト原遺跡(史),平久保のヤエヤマシタン(天),米原のヤエヤマヤシ群落(天),荒川のカンヒザクラ自生地(天),宮良川のヒルギ林(天)などがある。美しいサンゴ礁は最大の観光資源となっている。
1947年市制。64年に大浜町を編入し現在に至る。人口4万6922(2010)。四箇と称する市街地は,古くより八重山列島の政治・経済・交通の中心地で,県の出先機関をはじめ,周辺離島への交通の利便性から,竹富町役場もおかれている。近年の観光客数の著しい増加は,宿泊,みやげ品,運輸業などサービス業従業者の急激な増加をもたらしている。四箇に隣接する公有水面が埋め立てられ,市街地が拡大しつつある。石垣空港から那覇,宮古,与那国,波照間のほか,大阪,東京へも空路がある。
執筆者:町田 宗博
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沖縄県八重山列島(やえやまれっとう)中の主島。全島石垣市に属す。面積222.57平方キロメートル。沖縄本島、西表(いりおもて)島に次ぐ沖縄県第3位の大きさである。沖縄県の最高峰である於茂登岳(おもとだけ)(526メートル)を中心に、島軸に沿って山地が続き、島の約50%の面積を山地で占める。その山地を囲むように琉球(りゅうきゅう)石灰岩からなる海岸段丘群が島の約30%の面積を占有する。また、宮良(みやら)川や名蔵(なぐら)川などの河口にはマングローブ湿地をもつ沖積低地が広がり、水田地帯となっている。そのうち名蔵川河口部の湿地「名蔵アンパル」は、2005年(平成17)にラムサール条約登録湿地となった。山地部の地質は、チュムラスと、富崎層とよばれる古期変成岩類の石垣層群からなるほか、古第三系の宮良層の石灰岩や、野底層のグリーンタフ系の火山岩類から構成されている。台地は、砂礫(されき)層や、琉球石灰岩からなる第四系が広く分布する。また、島の全周は美しい裾礁(きょしょう)のサンゴ礁で取り巻かれ、西表島までの浅海は、石西礁湖(せきせいしょうこ)とよばれる日本で数少ない堡礁(ほしょう)をなしている。北部から東部の周辺海域、石西礁湖の海域などが西表石垣国立公園域に指定される。亜熱帯性の植生、動物群をもつ自然景観が山地部で認められるが、台地はサトウキビ畑や牧場となっている。近年、サンゴ礁の海に魅せられた海水浴客や新婚旅行客で年中にぎわいをみせている。なお石垣島は『続日本紀(しょくにほんぎ)』和銅(わどう)7年(714)12月5日条によれば、日本に渡ってきた「信覚(しがき)」人は石垣島の人に擬せられている。1390年(元中7・明徳1)琉球王へ入貢以来その付属領となり、明治初年まで王府の出先機関が置かれ、支配階級も居住して八重山の中心的地位を保っていた。人口4万7576(2009)。
[目崎茂和]
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出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
…1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ころ,〈石垣島付近東南東数十粁の処を東北東西南西に走る線〉を震源地とし,マグニチュード7.4の地震が発生した。その結果,まもなく未曾有の大津波が八重山・宮古両列島(現,沖縄県)の島々村々を襲った。…
※「石垣島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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