律令制時代,天皇が発願し官(政府)が造営費を支出して建立し,経営維持のために封戸,荘園などを官給するかたわら,官の監督をうけた寺。私寺に対する称。律令国家建設の過程において,仏教を国家の保護統制下におくとともに,国家の安寧隆昌を祈願させた。官寺の名の初見は729年(天平1)8月〈近江国紫郷山寺〉(崇福寺)であるが,もとは国大寺とか大寺と呼ばれた。680年(天武9)4月に蘇我氏の氏寺であった飛鳥元興寺が,当時あった二,三の国大寺とともに官寺の中に入れられ,また聖徳太子の熊凝(くまごり)寺も舒明天皇のとき百済大寺となったと伝える。奈良時代初期には四大寺,五大寺,七大寺(大安,薬師,元興,興福,法隆,東大,西大寺)と増加し,791年(延暦10)には弘福寺,四天王寺,崇福寺の3寺を加えて十大寺と定め,《延喜式》に至っては唐招提寺,東寺などを加えて十五大寺と呼ばれた。官寺すなわち大寺は国家が檀越(だんおつ)で,造建するに当たっては,造仏官,造寺司が設けられた。741年(天平13)には国分寺,国分尼寺の設置があり,地方の国司,国師が監督した。一方貴族,豪族の私寺には一定の用途(修理・灯分料)を支給して国家統制下におく定額寺(じようがくじ)があったが,その数は明らかでない。これら大寺,国分寺,定額寺は主として三綱と上部機構として別当,長吏,検校といった内部機構により寺内を教導監理したが,さらに玄蕃(げんば)寮の下にある僧綱(そうごう)によって統括されていた。平安時代には摂関・院政期を通して,天皇,皇后,貴族の発願で建立された寺,僧俗が天皇のために建立した御願寺(ごがんじ)などが群立するが,これらは僧綱や諸国講読師の監督をうけない寺で,準官寺とも呼ぶべきものである。官寺は律令制の崩壊とともに衰退した。鎌倉時代に至って,1298年(永仁6)4月関東祈願寺として西大寺など34ヵ寺を指定し,また五山十刹の制を設けて僧録司に管掌させた例がある。
執筆者:堀池 春峰
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律令(りつりょう)制下で、堂塔の造営や修理、僧尼の費用が国家から給付され、国家の監督を受ける寺。個人的に建てられた私寺に対する。基本的な性格としては、天皇の発願(ほつがん)で建てられ、皇室や国家の安泰鎮護の祈願が重んぜられた。ただし蘇我馬子(そがのうまこ)の発願による法興寺(ほうこうじ)(飛鳥寺(あすかでら))が官寺的性格をもつに至るのは特例であるが、古くはほとんどの寺院が官寺であった。『延喜式(えんぎしき)』には大寺(だいじ)、国分寺、有食封寺(うじきふうじ)、定額寺(じょうがくじ)の等級がみられるが、有食封寺、定額寺、御願寺(ごがんじ)は準官寺で、国分寺、国分尼寺、勅願寺(ちょくがんじ)が官寺である。中世以後は、幕府がとくに保護帰依(きえ)した禅宗寺院をさすようになった。臨済(りんざい)宗の京都・鎌倉五山、曹洞(そうとう)宗の永平寺・総持寺がこれにあたり、勅宣により住持が定められ、「出世道場」ともよばれる。
[石川力山]
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本来は国家により設営された寺院をいうが,広義にははじめ私的に建立され,のち国家の経済援助をうけるようになった寺院もさす。680年(天武9)官寺の対象が大官大寺(だいかんだいじ)・川原寺(かわらでら)などの国の大寺と飛鳥寺に限定された。奈良時代には,薬師寺・大安寺・元興寺,藤原氏の氏寺である興福寺なども官寺の扱いをうけ,天平年間には新たに東大寺・法華寺が造営され,地方に国分寺・国分尼寺がおかれた。天皇の発願により設営されたこれらの寺院のほか,国家から寺封(食封(じきふ))の施入をうけ運営される有食封寺や,国家から指定された一定数の定額寺(じょうがくじ)も,もとは貴族・豪族などの発願にかかる寺院だが,官寺に準じる存在として扱われた。
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…ただし,日本の場合のように,墓所の管理や死者の儀礼を媒介として,特定の寺院とその檀家が結合されるという状況は,原則として墓をつくらない上座部仏教諸国では,あまり見られない点に留意する必要があろう。【石井 米雄】
[日本]
日本の寺院には最初から伽藍や寺地をもって出発した官寺や氏寺もあれば,草庵や村堂や町堂から出発した民間の私寺もあり,また宗派や時代やそれぞれの寺史によりさまざまな性格がある。元号を寺号とするいわゆる元号寺は,勅願寺が原則である。…
…しかし延暦年間(782‐806)以降定額寺は急増し,貴族,僧侶,地方豪族の私寺が次々に奏請して定額寺に列せられた。律令政府による保護と統制は強化され,国家から修理料,灯分料の施入があり,経営については国(国司,講師)と寺院(別当,三綱(さんごう))と檀越(だんおつ)が検校し,官寺の末端に位置する存在として国家の繁栄と安穏を祈った。地方定額寺のなかには,国分寺焼失の代りに国分寺となる例もみられる。…
※「官寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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