デジタル大辞泉
「大光普照寺」の意味・読み・例文・類語
だいこうふしょう‐じ〔ダイクワウフセウ‐〕【大光普照寺】
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だいこうふしょう‐じダイクヮウフセウ‥【大光普照寺】
- 埼玉県児玉郡神川町にある天台宗の寺。山号は金鑽(かなさな)山。円仁(えんにん)の開基で聖徳太子の祈願所と伝える。正安年間(一二九九‐一三〇二)豪海が中興。もと官幣中社金鑽神社の別当寺。元三大師。金鑽大師。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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大光普照寺
だいこうふしようじ
[現在地名]神川町二ノ宮
主要地方道本庄―鬼石線の北沿いに位置し、南西方に金鑽神社がある。元三大師とも通称され、金鑽寺ともいう。金鑽山一乗院と号し、天台宗。本尊は十一面観音と元三大師(良源)像。寺伝によれば聖徳太子の開基、舒明天皇の勅願寺で、中興開山は円仁という。本尊十一面観音像は円仁が安置した像で、元三大師像は良源が当寺に逗留した際に刻んだものと伝えられる。源義家が奥州出兵の時に戦勝を祈願し、のち寺領を寄進したという伝承もあるが、父頼義の事歴との混同がある。鎌倉中期に豪海により復興され、僧侶の修学所として金鑽談所とよばれ、河越無量寿寺・下野宗光寺(現栃木県二宮町)とともに関東三談所といわれた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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大光普照寺
だいこうふしょうじ
埼玉県児玉郡(こだまぐん)神川町(かみかわまち)二ノ宮にある寺。天台宗の別格本山。金鑽(かなさな)山一乗院と号する。本尊は十一面観音および元三(がんさん)大師(良源)。聖徳太子の草創と伝えられ、平安初期に慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)が中興、のち良源がこの寺にとどまって自身の像を刻んだので、以後、元三大師の寺として親しまれている。鎌倉時代には天台宗関東三檀林(だんりん)の一つとなった。明治の神仏分離以前は、御室(みむろ)ヶ嶽を神体とする金鑽神社の別当寺で、いまも金鑽大師ともよばれる。1591年(天正19)には徳川家康より寺領30石の朱印状を受け、1610年(慶長15)僧正(そうじょう)官の宣旨をされる。江戸時代には関東八檀林となった。一切経(いっさいきょう)、古文書類など寺宝多数を有する。1月3日には元三会(え)(だるま市)が行われる。
[中山清田]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の大光普照寺の言及
【神川[町]】より
…南部の渡瀬(わたらせ)には肥料などを製造する化学工場がある。南部にある御嶽山山麓には武蔵二宮[金鑽(かなさな)神社]と天台宗の古刹(こさつ)大光普照寺(元三大師)があり,金鑽神社の多宝塔は重要文化財に指定されている。御嶽山の鏡岩は表面が鏡のように磨かれた岩で特別天然記念物に指定されている。…
※「大光普照寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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