デジタル大辞泉 「大台」の意味・読み・例文・類語
おお‐だい〔おほ‐〕【大台】
2 金額・数量などで、大きな区切りや目安になる境目。「二兆円の
三重県南西部,多気郡の町。2006年1月旧大台町と宮川(みやがわ)村が合体して成立した。人口1万0416(2010)。
大台町北東部の旧町。多気郡所属。人口7244(2005)。町域の大部分が紀伊山地に属する山地で,南側を宮川と支流大内山川が深い渓谷をつくって流れ,宮川沿いにJR紀勢本線と国道42号線が通じる。2006年紀勢自動車道が開通。宮川と大内山川の合流点北側の平たん地には,伊勢・熊野詣の街道沿いの要所として発達した三瀬谷(みせだに)が形成され,中心集落となっている。河岸段丘の発達が顕著で,栃原・新田地区では古くから良質の茶が生産され,〈大台茶〉として出荷されている。また三瀬谷地区は水陸の交通の便がよいため木材集積地となっており,製材工場も多い。ほかにシイタケの特産がある。奥伊勢への玄関口でもある。
大台町の中西部の旧村。多気郡所属。人口3855(2005)。村域の大部分は台高山脈と紀伊山地に属する標高1000m級の山々に占められ,大台ヶ原山に源を発する宮川がV字谷を刻んで中央を北東流する。宮川の河岸段丘には大井遺跡や神滝(こうたき)遺跡など,縄文時代の遺跡がある。鎌倉時代,当地の江馬(えま)山は伊勢神宮の杣山(そまやま)とされている。戦国時代には北畠氏の被官茂原氏や荻原氏らの城砦があった。江戸時代は紀州藩領であった。森林資源にめぐまれて杉やヒノキの良材を産し,またシイタケや山菜の栽培が行われる。松阪肉として出荷される肉牛も飼育される。宮川の渓流ではアマゴ,ニジマスの養殖が行われ,上流には多目的ダムの宮川ダムがある。最上流部の大杉谷(天)は貴重な動植物の分布がみられ,景勝地も多く,大杉神社の巨杉は神木とされている。一帯は吉野熊野国立公園に含まれる。
執筆者:上田 雅子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
三重県中南部、多気郡(たきぐん)にある町。1956年(昭和31)三瀬谷(みせだに)町と川添(かわぞえ)村が合併して成立。2006年(平成18)宮川村(みやがわむら)を合併。町名は大台ヶ原にちなむ。宮川の上・中流域に位置し、宮川と支流の大内山川の段丘上に耕地と集落が並ぶが、町域の約90%が山林で、林業、製材業とシイタケ、茶の栽培が主産業。茶は伊勢(いせ)茶のなかでも高品質の大台茶として知られ、全国の品評会でも優勝している。JR紀勢本線と国道42号が交通幹線で、宮川上流沿いに国道422号が走る。中心集落の三瀬谷はかつて伊勢と熊野を結ぶ東熊野街道(伊勢路)の宿駅として栄えた地。中世末期伊勢国司北畠具教(きたばたけとものり)が居を構えたが、1576年(天正4)織田信長の手の者によって自刃に追い込まれた。北畠氏終焉(しゅうえん)の地で、三瀬谷館趾(やかたあと)(県史跡)の碑が立つ。全町奥伊勢宮川峡県立自然公園区域で、三瀬谷ダムは奥伊勢湖と名づけられ宿泊施設、ボート競技場(漕艇場)があり、サクラの名所となっている。大台ヶ原山への登山口にもあたる。面積362.86平方キロメートル、人口8668(2020)。
[伊藤達雄]
『『大台町史』(1996・大台町)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ASCII.jpデジタル用語辞典ASCII.jpデジタル用語辞典について 情報
…たとえば500円台,1000円台というように。〈大台〉は相場値段のうち頭の数字をいう場合と,10円刻みに対し100円刻みをいう場合とがある。また相場の頭の数字が替わることを〈台替り〉という。…
※「大台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新