コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

関ヶ原の戦 せきがはらのたたかい

2件 の用語解説(関ヶ原の戦の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

関ヶ原の戦【せきがはらのたたかい】

1600年豊臣秀吉の死後の覇権をかけて徳川家康石田三成が美濃(みの)関ヶ原で戦った合戦。石田方には,毛利・宇喜多・上杉・島津など,徳川方には加藤・伊達(だて)・黒田などの諸大名がつき,石田方の西軍は8万余,徳川方の東軍は10万余であった。
→関連項目浅野長政安土桃山時代有馬氏安国寺恵瓊上田藩宇喜多秀家おあむ物語大垣藩織田氏織田信雄小幡景憲改易月山城亀山岐阜城郡上藩熊本藩高麗橋郡山藩五大老坂崎直盛真田氏真田幸村佐和山参勤交代関ヶ原[町]田辺長宗我部氏土井利勝藤堂氏徳川秀忠外様大名鳥羽藩中津藩長束正家福知山武功雑記譜代大名不破関前田玄以増田長盛益田氏松倉重政松平家忠松浦鎮信宮津村上水軍柳生宗矩和賀・稗貫一揆

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

せきがはらのたたかい【関ヶ原の戦】

1600年(慶長5)9月,徳川家康の率いる東軍と石田三成の率いる西軍が美濃関ヶ原で行った合戦。全国のほとんどの大名がまき込まれたこの合戦に勝ったことで,家康は事実上全国の支配者となり,さらに3年後に征夷大将軍となったので,〈天下分け目の戦〉ともいわれる。
[原因]
 1598年8月の豊臣秀吉死後の政権は,家康を筆頭とする五大老と三成を筆頭とする五奉行によって運営されることとなった。秀吉の遺言によれば,家康,前田利家毛利輝元上杉景勝宇喜多秀家の五大老が秀頼を後見し,〈御法度,御置目〉などの天下の政治は長束正家,石田三成,増田長盛浅野長政前田玄以の五奉行が合議によって推進し,太閤蔵入地その他の中央政権を支える財政の〈算用〉は,家康,利家の2人が総攬することになっていた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

関ヶ原の戦の関連キーワード佐渡国0 SIMル・ナン[兄弟]石田正澄大谷吉継小野寺義道小西行長鳥居元忠細川ガラシア島左近

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

関ヶ原の戦の関連情報