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大島貞益 おおしまさだます

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大島貞益
おおしまさだます

[生]弘化2(1845).2.17. 但馬
[没]1914.10.19. 鎌倉
保護貿易論者。箕作麟祥の塾で英学を学び,1868年海軍翻訳方勤務以後,文部省,統計寮,外務省などで翻訳にたずさわり,78年退官後は一時期を除き定職につかず,翻訳,著述に専念した。 90年富田鉄之助らと国家経済会設立にも関与。訳書は多方面にわたるが,経済関係が多く,F.リストの"Das nationale System der politischen Ökonomie"の翻訳『李氏経済論』 (1889,英語版からの重訳) や,特に主著『情勢論』 (91) によって,犬養毅とともに明治前期の保護貿易論者の双璧と目されている。

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百科事典マイペディアの解説

大島貞益【おおしまさだます】

経済学者。兵庫県出身。江戸で箕作麟祥(みつくりりんしょう)の塾に英学を学び,維新後明治政府の翻訳方として各種の英書の翻訳に従事,その後民間にあって外国経済学,特にF.リストの翻訳,紹介に努めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大島貞益 おおしま-さだます

1845-1914 明治時代の経済学者。
弘化(こうか)2年2月17日生まれ。外務省翻訳局などにつとめ,明治23年から「東京経済雑誌」に「保護貿易論」を連載。同年富田鉄之助らと国家経済会を設立した。大正3年10月19日死去。70歳。但馬(たじま)(兵庫県)出身。号は石華。訳書に「馬爾丢斯(マルサス)人口論要略」「李氏(リスト)経済論」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大島貞益

没年:大正3.10.19(1914)
生年:弘化2.2.17(1845.3.24)
明治時代の経済学者。号は石華。但馬国(兵庫県)出石藩の洋兵学者大島貞薫,教子の3男。幼名は益三郎。文部大助教などを経たのち,外務省御用掛を明治11(1878)年に辞す。7年バックルの『英国開化史』,10年マルサスの『人口論』の翻訳を出版する。22年リストの国民主義経済学の体系翻訳『李氏経済論』を出版。23年に設立された国家経済会の中心として活躍。「保護貿易論」を『東京経済雑誌』に掲載し,24年にこれをまとめて『情勢論』として出版する。33年には自己の経済学を体系化した『経済纂論』を出版。明治時代を代表する産業保護論者であった。<参考文献>西田長寿『大島貞益

(小宮一夫)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおしまさだます【大島貞益】

1845‐1914(弘化2‐大正3)
明治時代の経済学者。洋式兵学者大島貞薫(さだか)の第4子として但馬国に生まれ,漢学を学んだ後に,江戸に出て箕作麟祥のもとで英学を修めた。維新後10年間,明治政府で経済関係をはじめ多方面の英書の翻訳に従い,1877年には《馬爾丢斯人口論要略》を刊行し,マルサスの人口論を日本に紹介した。79年以後はほとんど官途につかず,もっぱら著述と翻訳に従事。初め自由主義経済論を奉じていたが,後に保護貿易論に転じ,F.リストの《政治経済学の国民的体系》を英語版より翻訳,《李氏経済論》(1889)と題して刊行し,さらに《情勢論》(1891),《経済纂論》(1900)などを著し保護貿易理論を展開した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大島貞益
おおしまさだます
(1845―1914)

明治時代の経済学者。とくに犬養毅(いぬかいつよし)とともに保護貿易論者の双璧(そうへき)として有名。弘化(こうか)2年2月27日但馬(たじま)国養父(やぶ)郡大藪(おおやぶ)村(現兵庫県養父市)に生まれる。初め郷里で漢学を、のち江戸に出て箕作麟祥(みつくりりんしょう)に英学を学んだ。1868年(慶応4)7月新政府に仕え、翻訳の業務に従事したが、78年(明治11)官を辞し、84年から87年まで群馬県立前橋中学校校長を務めた。以後野にあって、病身をいたわりつつ、大正3年10月19日に没するまでもっぱら著述と翻訳に従った。彼の翻訳書は、政治、法律、経済に限らず、宗教、歴史、地理、伝記、技術などにまで及んでいるが、経済関係ではとくに『馬爾(マルサス)人口論要略』(1877)、『日奔斯(ゼボンス)著貨幣説』(1883)、『李氏(リスト)経済論』(1889)があげられる。最後のリストの経済論は『Das nationale System der politischen konomie』(1841)(『経済学の国民的体系』)の英訳からの重訳である。主著に『情勢論』(1891)、『経済纂論(さんろん)』(1900)などがある。堀経夫(つねお)は、前者を「いわば自由主義の本陣に斬(き)り込んだ保護主義の鋭い太刀(たち)である」と評したが、当時の日本としては国内産業育成のため保護貿易を必要とする理由が明らかにされている。彼は、この主張を実現するために富田鉄之助らと国家経済会をつくり、その幹事役も務めた。後者の内容は実質的に経済原論である。[多田 顯]
『『本庄栄治郎著作集2 日本経済思想史』(1971・清文堂出版) ▽堀経夫著『明治経済思想史』(1975・明治文献)』

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