律令時代の宮廷の四時祭(しじさい)の一つで,大和国広瀬神社(奈良県北葛城郡河合町)でおこなわれた神事。広瀬大忌祭ともいう。神祇令の規定では,竜田大社の風神祭と並んで4月,7月の4日に小祀として営まれた。675年(天武4)4月に風神を竜田に,大忌神を広瀬の河曲にまつったのが起源で,以後平安時代末まで毎年おこなわれたことが,六国史や《西宮記》《北山抄》などにみえる。奈良盆地を流れる飛鳥川,初瀬川など諸河川の合流点の河合地に農業用水の神として広瀬大忌神(若宇加能売(わかうかのめ)命をはじめとする広瀬神社祭神の総称)を田植の前と刈入れの前と2度まつったもので,竜田風神祭とともに稲作儀礼を掌握する国家的祭祀として重視された。天武天皇の創設にかかるものであろう。祭使として竜田と広瀬の2社に王臣五位以上各1人と六位以下の神祇官人各1人を派遣した。祭りの祝詞は《延喜式》巻八に所収。現在は広瀬神社だけの行事として復活し,8月21日におこなわれている。
執筆者:椎瀬 多賀雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県北葛城(かつらぎ)郡河合(かわい)町川合(かわい)の広瀬(ひろせ)神社で、8月21日に行われる年穀豊穣(ほうじょう)祈願の祭り。もとは4月と7月の各4日に、広瀬神社と龍田(たつた)大社(生駒(いこま)郡三郷(さんごう)町立野(たつの))で同時に行った。古くから広瀬神社は水の神、龍田大社は風の神として、両社並び称され、五穀豊穣の守護神として信仰された。『令義解(りょうのぎげ)』巻2「神祇(じんぎ)令」に「大忌祭、謂広瀬竜田二祭也、欲令山谷水変‐成甘水、浸潤苗稼、得其全稔、故有此祭也」とある。『日本書紀』天武(てんむ)天皇4年(675)4月条に両社祭祀(さいし)の記事がみえ、その起源もこのころに想定される。しかし、『延喜式(えんぎしき)』巻2「四時(しじ)祭式」には「大忌祭一座、広瀬社、七月准此」とあり、平安時代にはすでに広瀬神社で7月に行われるだけになった。
[倉林正次]
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