大慶寺(読み)たいけいじ

日本歴史地名大系 「大慶寺」の解説

大慶寺
たいけいじ

[現在地名]鎌倉市寺分

駒形こまがた神社の近くにある。臨済宗円覚寺派、霊照山と号する。本尊釈迦如来開山大休正念、開基長井氏(「大慶寺釈迦如来坐像胎内銘札」県史三)。正安元年(一二九九)住持無象静照は浄智じようち寺に移り(無象和尚語録)、延慶―元応(一三〇八―二一)頃には秋澗道泉が住山している(秋澗道泉和尚語録)。元亨三年(一三二三)の北条貞時十三回忌に際し、道顕長老以下僧衆八三名が参列し(「北条貞時十三年忌供養記」県史二)、室町時代には関東十刹に列せられるなど(扶桑五山記)、寺格も高かった。

大慶寺
たいけいじ

[現在地名]金井町新保 宮の下

八幡宮の左に隣接し、長屋門に囲まれる。真言宗金峰山と号し、本尊大日如来。もと宮浦みやうら(現畑野町)慶宮けいくう寺末。寺伝では、もと雲上うんじよう寺と称し、金北きんぽく山頂の金北山権現の別当寺であったが、天正年中(一五七三―九二)に別当権が真光しんこう(現佐和田町)に移った。「佐渡年代記」正徳三年(一七一三)の件によると、社料は新保しんぼ村の高より字嶽田の田地六反余の一円除で、毎年米四石五斗余を別当真光寺へ渡すと記される。

大慶寺
たいけいじ

[現在地名]新田町大根

大根おおねの小字綿打わたうちにあり、新田高校の南に隣接する。妙満山と号し、真言宗豊山派。本尊大日如来。中世は新田庄綿打郷のうちで、寺域は新田本宗家支流綿打氏の館跡と推定されている。一五〇メートル四方の規模で土塁・周濠がめぐらされており、湧水池も存在した。寺伝では新田義重の娘妙満尼が開いたという。永享元年(一四二九)成立の「鶏足寺世代血脈」によると、小俣鶏足おまたけいそく(現栃木県足利市)の二九世明源房空覚が開山で、了安入道(綿打氏一族か)の提供した「吾地子ノ内」に寺院を建立して諏訪大明神を勧請し、三昧耶戒の道場としたという。

大慶寺
だいけいじ

[現在地名]藤枝市藤枝四丁目

飽波あくなみ神社の西方にある。円妙山と号し、日蓮宗。本尊は釈迦如来。「藤枝市史」は創立を建久五年(一一九四)、開山を日向とするが、「修訂駿河国新風土記」は開山を天文二三年(一五五四)二月二日没の大円院日遵としている。江戸時代には甲斐久遠くおん寺末で、除地三石余(同書)。寺伝によると、当寺の僧侶は田中藩主息女の病気平癒祈願の功績により藩主と同等の駕籠に乗ることを許され、田中たなか城の祈願寺になったという。寺内には藩主太田資直の墓をはじめ藩主本多正供の息女、本多正珍の側室家老の重富氏・高瀬氏・岡本氏・亀田氏、藩士で漢学者の石井縄斉らの墓がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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