日本大百科全書(ニッポニカ) 「大楽源太郎」の意味・わかりやすい解説
大楽源太郎
だいらくげんたろう
(1832―1871)
幕末維新期の長州藩尊攘(そんじょう)派の志士。山県(やまがた)信七郎の子で、周防国(すおうのくに)吉敷(よしき)郡台道(だいどう)村(山口県防府(ほうふ)市)に生まれ、大楽家に入る。名は弘毅(ひろたけ)、奥年。源太郎は通称。西山と号した。近くの佐波(さば)郡右田(みぎた)(防府市)の私塾で儒学を修めたが、おりからの藩の尊攘運動の高揚に加わり、東奔西走した。佐波郡宮市(みやいち)に忠憤隊(ちゅうふんたい)(諸隊の一)を組織、1865年(慶応1)この解散を命ぜられるや、宮市に開塾、ついで翌年台道村に西山書堂を開いて子弟の教育にあたった。1869年(明治2)、政府の国民徴兵制に反対し、兵部大輔(ひょうぶたいふ)大村益次郎(ますじろう)の暗殺事件に関係ありとして幽閉されたが脱走した。ついで藩の脱隊騒動を指導したとして探索を受け、翌年九州日田県の農民一揆(いっき)を指導し逃走中、久留米(くるめ)で暗殺された。
[小林 茂]
『『続防府市史』(1960・防府市)』▽『内田伸著『大楽源太郎』(1971・風説社)』