コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

大江維時 おおえのこれとき

6件 の用語解説(大江維時の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大江維時
おおえのこれとき

[生]仁和4(888)
[没]応和3(963).6.7.
平安時代の学者。大江音人の孫,千古の子。延長7 (929) 年文章博士,天慶2 (939) 年大学頭となり,さらに式部大輔,東宮学士,天暦4 (950) 年公卿に列し,参議を経て,中納言となった。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大江維時 おおえの-これとき

888-963 平安時代中期の公卿(くぎょう),学者。
仁和(にんな)4年生まれ。大江千古の3男。文章生(もんじょうしょう)から秀才となり,文章博士,大学頭(かみ),式部大輔(たいふ)などをへて,天暦(てんりゃく)4年(950)参議。9年従三位,天徳4年中納言にすすむ。撰国史所別当となり「新国史」を編修した。醍醐(だいご)天皇以下3代の侍読。応和3年6月7日死去。76歳。贈従二位。字(あざな)は江二。通称は江納言。編著に「日観集」「千載佳句」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

大江維時

没年:応和3.6.7(963.6.30)
生年:仁和4(888)
平安中期の学者,漢詩人。江納言と称する。千古の3男。文章得業生を経て,延長2(924)年式部少丞。同6年従五位下に叙せられ,翌年には文章博士となる。天慶年間,大学頭,式部大輔を歴任,天慶9(946)年まで東宮学士を兼ねる。その間東宮(のちの村上天皇)の命を受けて『日観集』を編纂した。天暦4(950)年参議,天徳1(957)年撰国史所別当となり,『新国史』の編纂に携わり,同3年8月の内裏詩合には判者を務めた。4年には中納言となる。従兄の大江朝綱菅原文時と共に朱雀・村上朝文壇の中心となった文人で,上記のほかにも,『千載佳句』の編纂,「坤元録屏風詩」の選定,天皇への講書,天皇の諱および年号の選定,表や願文の執筆など,目覚ましい活躍をみせ,学問の世界における大江家の勢力の拡大に朝綱と共に寄与した。『江談抄』には,維時は才学では朝綱に勝るが,文章では朝綱の敵ではないと評されている。

(後藤昭雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

おおえのこれとき【大江維時】

888‐963(仁和4‐応和3)
平安中期の漢文学者。音人(おとんど)の孫,千古の子。朝綱とは従兄弟。字は江二。江納言(ごうなごん)と称せられる。929年(延長7)文章博士,950年(天暦4)参議,960年(天徳4)中納言。中納言にまで昇ったのは,大江氏では匡房(まさふさ)と2人のみ。醍醐・朱雀・村上の3朝の侍読を務める。才学にすぐれ,《日観集》20巻(現佚),《本朝佳句》2巻(現佚),《千載佳句》2巻,《養生方》(《養生抄》)等の編纂がある。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

おおえのこれとき【大江維時】

888~963) 平安中期の学者。文章もんじよう博士。大学頭。村上天皇の勅命により、漢詩集「日観集」を撰進。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大江維時
おおえのこれとき
(888―963)

平安中期の文人。江納言(ごうなごん)と称された。千古(ちふる)の子。匡衡(まさひら)の祖父。文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ)、式部大輔(だいぶ)、東宮学士等の学者としての顕職を歴任して、参議に上る。957年(天徳1)撰(せん)国史所別当となり『新国史』の編纂(へんさん)に携わる。従(じゅ)三位中納言に至り、応和(おうわ)3年6月7日没。編著として『日観集(にっかんしゅう)』『千載佳句(せんざいかく)』『養生方(ようじょうほう)』がある。959年の「天徳内裏詩合(てんとくだいりしあわせ)」には判者を務め、『坤元録屏風詩(こんげんろくびょうぶし)』の撰進にあたる。さらに年号の勘申(かんじん)、歴代天皇の諱(いみな)の撰申、天皇への漢籍の講義などを行う。これらの目覚ましい活躍によって、従兄の朝綱(あさつな)とともに文人社会での江家(ごうけ)の勢力の伸張に寄与した。しかし詩文の作者としては朝綱に一歩譲ると評され、確かに残された作品も少ない。[後藤昭雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大江維時の関連キーワード四條公任大江朝綱扶桑集源経信詩合せ大江挙周小馬命婦(2)藤原公通藤原資仲江納言

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone