出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安中期の文人。江納言(ごうなごん)と称された。千古(ちふる)の子。匡衡(まさひら)の祖父。文章博士(もんじょうはかせ)、大学頭(だいがくのかみ)、式部大輔(だいぶ)、東宮学士等の学者としての顕職を歴任して、参議に上る。957年(天徳1)撰(せん)国史所別当となり『新国史』の編纂(へんさん)に携わる。従(じゅ)三位中納言に至り、応和(おうわ)3年6月7日没。編著として『日観集(にっかんしゅう)』『千載佳句(せんざいかく)』『養生方(ようじょうほう)』がある。959年の「天徳内裏詩合(てんとくだいりしあわせ)」には判者を務め、『坤元録屏風詩(こんげんろくびょうぶし)』の撰進にあたる。さらに年号の勘申(かんじん)、歴代天皇の諱(いみな)の撰申、天皇への漢籍の講義などを行う。これらの目覚ましい活躍によって、従兄の朝綱(あさつな)とともに文人社会での江家(ごうけ)の勢力の伸張に寄与した。しかし詩文の作者としては朝綱に一歩譲ると評され、確かに残された作品も少ない。
[後藤昭雄]
(後藤昭雄)
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