デジタル大辞泉
「菅原是善」の意味・読み・例文・類語
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菅原是善 (すがわらのこれよし)
生没年:812-880(弘仁3-元慶4)
平安時代中期の学者。菅原道真の父。菅原清公(きよとも)の第4子で,幼時から学才すぐれ,22歳で文章(もんじよう)得業生となり,以後文章博士,東宮学士,大学頭,式部大輔を経て872年(貞観14)参議となり,879年従三位にすすんだ。当時第一の文人として声望高く,門人も多かった。《文徳実録》10巻の編纂に加わり,また《東宮切韻》20巻,《会文類聚》70巻などの著作があり,家集も10巻あったというが,いずれも今日伝わっていない。
執筆者:土田 直鎮
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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菅原是善
没年:元慶4.8.30(880.10.7)
生年:弘仁3(812)
平安前期の公卿,学者。清公の4男。道真の父。幼少から家学の文章道を学び,11歳で徴されて殿上に侍してからは天皇の前で常に書を読み,詩を賦したという天才ぶりを発揮した。承和13(846)年文章博士,貞観13(871)年参議,元慶1(877)年刑部卿。同3年従三位。この間文徳天皇に『文選』,清和天皇に『漢書』を進講している。薨伝によれば,詩家の宗匠小野篁や在朝の通儒春澄善縄,大江音人と親しく,多くの門弟を持ったが,世間を忘れ書に風月をめでて詩を吟じ,仏道を崇び人々をいつくしんだという。臨終に当たり,初冬の梅の季節に法要を営むよう一言しただけで以後他語することはなかったという。『貞観儀式』『文徳実録』の編纂に加わる一方,家集『菅相公集』のほか,著書に『東宮切韻』『集韻律詩』などがある。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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菅原是善
すがわらのこれよし
(812―880)
平安前期の文人。清公(きよとも)の子。道真(みちざね)の父。大内記、文章博士(もんじょうはかせ)、東宮学士、式部大輔(しきぶのたいふ)等を経て参議従三位(じゅさんみ)に至る。長年文章博士を務めるなど、晩年の数年を除いて一貫して儒職を歴任した。元慶(がんぎょう)4年8月30日没。詩人学者から公卿(くぎょう)官吏に至る広い層の門人を擁し、菅家(かんけ)の学統を隆盛に導いた。俗事に恬淡(てんたん)とした詩人肌(はだ)の人物であった。『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』『文徳(もんとく)実録』の編纂(へんさん)に参画。著作に『菅相公集』『東宮切韻(とうぐうせついん)』『銀牓翰律(ぎんぼうかんりつ)』『集韻律詩』『会分類聚(かいぶんるいじゅう)』があったが、いずれも現存しない。
[後藤昭雄]
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菅原是善
すがわらのこれよし
[生]弘仁3(812)
[没]元慶4(880).8.30. 京都
平安時代の廷臣。漢学者。清公の4男,道真の父。承和2 (835) 年文章得業生。同 12年文章博士。仁寿1 (851) 年『文選』を進講した。同3年大学頭。天安1 (857) 年『漢書』を講じた。貞観 12 (870) 年式部大輔。同 14年参議。極位は従三位。都良香,島田良臣らと『日本文徳天皇実録』 (10巻,略して『文徳実録』) を撰した。また,『東宮切韻』 (20巻) ,『銀ぼう翰律』 (10巻) ,『集韻律詩』 (10巻) ,『会分類聚』 (70巻) ,『類聚名義抄』を撰し,ほかに自作の漢詩文集 10巻がある。
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菅原是善 すがわらの-これよし
812-880 平安時代前期の公卿(くぎょう),学者。
弘仁(こうにん)3年生まれ。菅原清公(きよとも)の4男。菅原道真(みちざね)の父。文章博士,東宮学士,大学頭(かみ),式部大輔(たいふ),参議を歴任。文徳・清和天皇の侍読(じどく)をつとめ,「日本文徳天皇実録」「貞観格式(じょうがんきゃくしき)」の編修にくわわる。菅相公(かんしょうこう)と称された。従三位。元慶(がんぎょう)4年8月30日死去。69歳。
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菅原是善【すがわらのこれよし】
平安前期の学者。菅原清公(きよとも)の子。道真(みちざね)の父。845年文章(もんじょう)博士となる。都良香(みやこのよしか)らと《日本文徳天皇実録》を撰した。
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世界大百科事典(旧版)内の菅原是善の言及
【辞書】より
…これは《玉篇》にもとづいて要約し,一部に篆書を併記してあるもので,漢字の字形から音や意味を引く辞書だが,漢文の注記だけで,和訓はない。菅原是善(これよし)(道真の父)の《東宮切韻(とうぐうせついん)》は847‐850年(承和14‐嘉祥3)の間に成立したといわれ,中国の14種の《切韻》を集成し,漢字を韻によって分類し,その音や意味をしるし,和訓はないようであるが,これも原本は散逸した。つづいて出たのが《[新撰字鏡](しんせんじきよう)》12巻で,僧昌住の著,昌泰年間(898‐901)に増補が成立した。…
※「菅原是善」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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