広義には伝統的な和文や漢文を基調とし、音読にふさわしいリズムを有する文体をさしている。明治20年代以降しだいに定着していった口語文体の対極に位置する文体といえる。この意味では森鴎外(おうがい)の『舞姫』や『即興詩人』、樋口一葉(ひぐちいちよう)の『たけくらべ』、北村透谷(とうこく)の漢文脈を生かしたリズミカルな文体などもそのカテゴリーに属する。ただ、狭義には、というよりも文学史的には、明治20年代に欧化の反動としておこった国粋主義や日本主義から生まれた擬古典文を淵源(えんげん)とする感傷的な文体をさしている。落合直文(なおぶみ)ら国文学者の試みをはじめとして、その後の大和田建樹(たけき)や雑誌『帝国文学』によった塩井雨江(うこう)、武島羽衣(はごろも)、大町桂月(けいげつ)らの文体がその代表である。雨江・羽衣・桂月合著の『花紅葉(はなもみじ)』(1896)、大和田の『散文韻文雪月花』(1897)、桂月の『美文韻文黄菊白菊』(1898)などが著名だが、そのほか、高山樗牛(ちょぎゅう)の『滝口入道』(1894)や『わが袖(そで)の記』(1897)もその典型といえる。こうした美文は自然主義文学が全盛期を迎える明治40年代まで試みられ、高須梅渓(ばいけい)や栗島狭衣(くりしまさごろも)などその古風なリズムによって、口語体に違和感を抱く読者を多く獲得していった。
[山田有策]
『『明治文学全集41 塩井雨江・武島羽衣・大町桂月・久保天随・樋口龍峡集』(1971・筑摩書房)』
明治期の後半,言文一致体が確立してゆくかたわらで,特異な現れ方をした文語の散文。ふつうは〈美文韻文〉と併称する。文語定型詩の枠に盛り切れない詩想を自由に文語文で表現しようとしたもので,日夏耿之介(こうのすけ)によると,近世から明治初期に至る間に〈漢文の一般的普及と和文の近代化〉との混交という現象が進行したものを,この時期になって意識的にとらえ直したものだという(《明治大正詩史》)。散文の変革の過程で,文語文の遅れを逆手にとって磨き上げたと言うべきものだが,その文学的感度は,一時的な盛行を見せた文語定型詩のレベルにほぼ等しい。雑誌《帝国文学》に拠ったいわゆる赤門派(大学派)を代表する大町桂月,武島羽衣,塩井雨江の合著《美文韻文花紅葉(はなもみじ)》(1896)や桂月の《美文韻文黄菊白菊》(1898)などに,定型の新体詩と並立することで生命力を保っている姿が見られるが,文語詩の変革や口語による詩または散文詩の登場によって歴史的意義を失った。
執筆者:野山 嘉正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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