日本大百科全書(ニッポニカ) 「大矢野」の意味・わかりやすい解説
大矢野
おおやの
熊本県中西部、天草(あまくさ)郡にあった旧町名(大矢野町(まち))。現在は上天草市(かみあまくさし)の北部にあたる地域。旧大矢野町は1954年(昭和29)大矢野島の登立(のぼりたて)町と上村(かみむら)、中村、維和島(いわじま)(千束蔵々島(せんぞくぞうぞうじま))の維和村、湯島の湯島村が合併して改称。2004年(平成16)松島、姫戸(ひめど)、龍ヶ岳(りゅうがたけ)の3町と合併、市制施行して上天草市となる。旧大矢野町の名称は、主島名(大矢野島)に由来する。旧町域は、大矢野島、維和島、湯島(談合島)など五つの有人島と13の無人島からなる。全域低山地であるが、地質的には新生代新第三紀の堆積(たいせき)岩地域に、第四紀の火山岩の点在する大矢野島北半と湯島、古第三紀堆積岩の大矢野島南半、さらに中生代白亜紀の堆積岩からなる維和島とに3区分される。天草パールライン(国道266号)が通じる。天草五橋の竣工(しゅんこう)(1966)によって本土の宇土(うと)半島、天草上島(かみじま)と結ばれ、天草の玄関口となっている。織物、ニットなどの工場進出もみられるようになったが、それ以上に、地域の特性を生かしたクルマエビ養殖、フリージア、ヤグルマソウ、ユリなどの花卉(かき)栽培、真珠養殖(1935年以降)などは大きく成長した。逆に先進地的な役割を演じた酪農は、菊池郡下の著しい発展によってその主導的地位を退いている。架橋の影響は土地所有関係にも現れ、レジャー基地、別荘建設を目的にした観光資本による土地買収が随所にみられる。観光地として、大矢野城跡、天草四郎公園などがあり、南部の海岸は雲仙天草国立公園(うんぜんあまくさこくりつこうえん)域である。
[山口守人]