大石久敬(読み)オオイシヒサタカ

デジタル大辞泉 「大石久敬」の意味・読み・例文・類語

おおいし‐ひさたか〔おほいし‐〕【大石久敬】

[1725~1794]江戸中期の農政学者。筑後国久留米の人。高崎藩郡方こおりがた役人。著「地方凡例録じかたはんれいろく」。

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精選版 日本国語大辞典 「大石久敬」の意味・読み・例文・類語

おおいし‐ひさたか【大石久敬】

  1. 江戸中期の農政家。高崎藩士。江戸時代田地制度租税法などを集録して、「地方凡例録」を著わす。享保六~寛政六年(一七二一‐九四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大石久敬」の意味・わかりやすい解説

大石久敬
おおいしひさたか
(1725―1794)

江戸中期の農政家。『地方凡例録(じかたはんれいろく)』の著者。筑後(ちくご)国(福岡県)久留米(くるめ)に古賀貞房(さだふさ)の第5子として生まれる。字(あざな)は士恭(しきょう)、号は巌華(がんか)、通称猪十郎(いじゅうろう)。7歳のとき城島(じょうじま)村(現東久留米市城島町)の大庄屋(おおじょうや)大石貞治紹久(さだはるしょうきゅう)の養子に入る。のち父の跡を継いで大庄屋となり、名を勘治久敬と改める。1754年(宝暦4)領内に大一揆(いっき)が発生するが、これを契機に出奔し、京都にて清閑寺(せいかんじ)大納言(だいなごん)秀定の青侍となる。以後諸国流浪する身となったが、83年(天明3)久敬59歳のとき、高崎藩主松平輝高(てるたか)に馬廻格(うままわりかく)100石金17両で召し抱えられ、郡方(こおりがた)を担当する。88年には郡奉行(ぶぎょう)に昇進し、91年(寛政3)に至り藩主松平輝和(てるやす)の命により地方書の著述にとりかかる。その著『地方凡例録』は江戸時代の田制、租法をはじめ農政全般にわたる手引書として名高い。なお、16巻の予定のうち11巻は94年までに献本を終わるものの、その死により残り5巻が未完となった。

[飯島千秋]

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朝日日本歴史人物事典 「大石久敬」の解説

大石久敬

没年:寛政6(1794)
生年:享保10.9.20(1725.10.25)
江戸中期の農政学者。筑後国(福岡県)久留米藩士古賀貞房の第5子。久留米在城島村(三潴郡城島町)の大庄屋大石貞治紹久の養子となり,17歳で大庄屋役を継ぎ,勘治久敬と名乗る。字は士恭,通称猪十郎。巌華と号した。宝暦4(1754)年,30歳のとき,領内の大庄屋,豪農,御用商人などを攻撃対象とする久留米藩の大一揆が起こり,百姓数万人が人別銀の廃止などを強訴した。藩は農民側のいい分を受け入れ,大庄屋25人を詮議中閉門処分としたうえ,御井郡御井村(久留米市)の大庄屋高松八郎兵衛を処刑した。この処分は,藩が幕府の戒告を恐れ,久敬ら5人の大庄屋にくじ引きで受刑者を決めさせた結果とする説もある。 処分を不当とした久敬は親戚と相談のうえ出奔,以後30年ほど諸国を流浪した。九州各地を経て大坂から京都に出て清閑寺秀定の青侍となり,次いで多くの公家に仕えたのち,近江,信濃,甲斐などを遍歴し江戸に入る。この流浪の間に農学,農政に精通したという。江戸で旗本の手代などを勤めていた天明3(1783)年59歳のとき,高崎藩士山本勘十郎の推挙で,同藩に召し抱えられた。禄は100石金17両,馬廻格で農村差配の郡方に配属され,同8年には郡奉行に昇進。寛政3(1791)年,藩主松平輝和から地方農政の沿革の著述を命ぜられ,『地方凡例録』全16巻の著述にとりかかる。同6年8月に11巻分の献本を終え,70歳で没した。残り5巻は未完のまま残された。<参考文献>大石慎三郎校訂・解説『地方凡例録』上下

(井上定幸)

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改訂新版 世界大百科事典 「大石久敬」の意味・わかりやすい解説

大石久敬 (おおいしひさたか)
生没年:1725-94(享保10-寛政6)

江戸中期の農政学者,農政実務家。《地方(じかた)凡例録》の著者。字は士恭,号は巌華,通称猪十郎。九州久留米藩の生れ。城島村の大庄屋となるが1754年(宝暦4)の久留米騒動に関連して国を捨て,諸国を流浪の末83年(天明3)高崎藩に抱えられ,馬廻格郡方,郡奉行に進み,91年藩主松平輝和の命により《地方凡例録》の著述にかかり,94年8月6日に全16巻予定のうち11巻の献本を終わるが,残り5巻は未完のまま死亡。
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大石久敬」の解説

大石久敬 おおいし-ひさたか

1725-1794 江戸時代中期の農政家。
享保(きょうほう)10年9月20日生まれ。筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩の大庄屋の養子となるが,百姓一揆(いっき)のため国をでる。天明3年上野(こうずけ)(群馬県)高崎藩にむかえられ,のち郡奉行となった。藩主大河内輝和(てるやす)の命により,農政書「地方凡例(じかたはんれい)録」をかくが未完。寛政6年11月17日死去。70歳。本姓は古賀。字(あざな)は士恭。通称は猪十郎。号は巌華。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大石久敬」の意味・わかりやすい解説

大石久敬
おおいしひさたか

[生]享保10(1725).9.20. 筑後,久留米
[没]寛政6(1794).上野,高崎
江戸時代中期の農政家。高崎藩士。通称,猪十郎,字は士恭,号は厳華。郡役人として才能をふるい,藩命により『地方凡例録』 (11巻) を著わし,また小宮山昌世の『田園類説』を増補した。

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367日誕生日大事典 「大石久敬」の解説

大石久敬 (おおいしひさたか)

生年月日:1725年9月20日
江戸時代中期の農政学者
1794年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大石久敬の言及

【地方凡例録】より

…江戸時代の代表的な地方書。著者は高崎藩の郡奉行大石久敬(ひさたか)で,領主松平右京亮輝和の命をうけて執筆・献上し,書名も領主の命名という。全16巻を計画したが,11巻の献本を終えたところで病気がひどくなり,11巻の末に跋文を加えてもらったのが1794年(寛政6)11月である。…

※「大石久敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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