江戸中期の農政家。『地方凡例録(じかたはんれいろく)』の著者。筑後(ちくご)国(福岡県)久留米(くるめ)に古賀貞房(さだふさ)の第5子として生まれる。字(あざな)は士恭(しきょう)、号は巌華(がんか)、通称猪十郎(いじゅうろう)。7歳のとき城島(じょうじま)村(現東久留米市城島町)の大庄屋(おおじょうや)大石貞治紹久(さだはるしょうきゅう)の養子に入る。のち父の跡を継いで大庄屋となり、名を勘治久敬と改める。1754年(宝暦4)領内に大一揆(いっき)が発生するが、これを契機に出奔し、京都にて清閑寺(せいかんじ)大納言(だいなごん)秀定の青侍となる。以後諸国を流浪する身となったが、83年(天明3)久敬59歳のとき、高崎藩主松平輝高(てるたか)に馬廻格(うままわりかく)100石金17両で召し抱えられ、郡方(こおりがた)を担当する。88年には郡奉行(ぶぎょう)に昇進し、91年(寛政3)に至り藩主松平輝和(てるやす)の命により地方書の著述にとりかかる。その著『地方凡例録』は江戸時代の田制、租法をはじめ農政全般にわたる手引書として名高い。なお、16巻の予定のうち11巻は94年までに献本を終わるものの、その死により残り5巻が未完となった。
[飯島千秋]
(井上定幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸中期の農政学者,農政実務家。《地方(じかた)凡例録》の著者。字は士恭,号は巌華,通称猪十郎。九州久留米藩の生れ。城島村の大庄屋となるが1754年(宝暦4)の久留米騒動に関連して国を捨て,諸国を流浪の末83年(天明3)高崎藩に抱えられ,馬廻格郡方,郡奉行に進み,91年藩主松平輝和の命により《地方凡例録》の著述にかかり,94年8月6日に全16巻予定のうち11巻の献本を終わるが,残り5巻は未完のまま死亡。
執筆者:大石 慎三郎
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…江戸時代の代表的な地方書。著者は高崎藩の郡奉行大石久敬(ひさたか)で,領主松平右京亮輝和の命をうけて執筆・献上し,書名も領主の命名という。全16巻を計画したが,11巻の献本を終えたところで病気がひどくなり,11巻の末に跋文を加えてもらったのが1794年(寛政6)11月である。…
※「大石久敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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