中国共産党が行ってきた政治運動の一形態で,大衆の発揚を基礎に,政治矛盾の解決や経済建設を行っていく方法をいう。党が民衆にかわって問題を解決していく代行主義に対する言葉である。歴史的には,1940年代初期の延安解放区時代,そこが疫病や国民党の封鎖,干ばつなどで苦境に陥った際採用された整風運動から始まる。抗日の意味から党員の日常の態度(作風)まで,あらゆる分野にわたって点検が行われ,その結果,民衆の自覚が高まり抗日への新しい闘争力が生まれた。解放後,経済建設期に入り,1956年の合作社化運動を除き,大衆路線は忘れ去られていた。57年まではソ連型経験が各方面に導入され,秩序化,組織化に主眼が置かれたためである。58年以後2年半の大躍進期には,経済建設に大衆路線が採用された。一つの技術革新でも,一握りの技術者集団が外国の先進技術を導入し,模倣することより,工員各人が自分の可能な範囲で,新案特許的な小さな技術改良を重視する政策がとられた。66年以後の文化大革命運動は政治,経済面における大衆路線の発揚期であった。
大衆路線方式は,一般に左派が権力を握ったときに採用されがちであるが,この方式はつねに危険な側面をもつ。一つは行き過ぎによる破壊が大きくなること,第2は付和雷同する大衆の無責任性である。そのため,高度に分業化される必要のある工業化社会に大衆路線がなじむかという疑問は早くから指摘されてきている。
執筆者:小島 麗逸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
新民主主義革命下で確かめられた、中国共産党の大衆闘争の指導原則。すべての党活動は、絶えず大衆の自覚と自発的行動に依存し、それによって決定されるとともに、大衆のなかでこそその正しさが検証される、とする。「大衆から学び、大衆の知識と経験を集中し、それを系統的ないっそう高度の知識に変えることによって、大衆の行動を指導できる」とするこの指導方針は、1945年の中国共七産党全大会での党規約改正の説明において、劉少奇(りゅうしょうき)によって強調された。この指導原則の下で、広範な大衆の切実な日常の経済・政治闘争や部分的要求の闘争が重視されるが、その大前提には、人民大衆の解放は大衆自ら行うものである、という認識がある。
今日、大衆路線は一般に社会主義運動の活動原則とされているが、すでに多数者革命の問題としてエンゲルスによっても展望されていた。エンゲルスによれば、「社会主義革命の本来の形態は、無自覚な大衆の先頭にたった自覚した少数者が遂行する革命ではない。社会変革のために、大衆自身が参加し、彼ら自身が、何が問題になっているか、何のために彼らは肉体と生命を捧(ささ)げて行動するのかを、理解していなければならない。大衆が何をなすべきかを理解するためには、長い間の根気づよい仕事が必要である」(マルクス『フランスにおける階級闘争』への序文、1895年)。
[村上義和]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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