改訂新版 世界大百科事典 「大西浄清」の意味・わかりやすい解説
大西浄清 (おおにしじょうせい)
生没年:1594-1682(文禄3-天和2)
江戸初期の釜師。大西家の2世で,初世浄林の弟(一説に親族関係)。通称五郎左衛門。大西家一番の上手とされる。釜師名越三昌(一説にその弟家昌)に釜作を学び,茶匠古田織部,小堀遠州などの愛顧を受けた。作風は薄作りを得意とし,多く砂肌。羽落(はおち)は少なく,毛切(けきり)が多い。普通,鐶付(かんつき)には肌を入れないが,浄清は鐶付にも入念に肌を入れ,総体にきれいな釜作をした。茶の湯釜のほかに日光大猷院前銅灯台,品川東海寺の梵鐘なども手がけている。後に子息定林と共に江戸に下り,1656年(明暦2)には幕府の御用釜師となった。
大西家
江戸初期から京都三条釜座において釜作を続け,千家十職の一つとして現代まで続いている茶の湯釜の家元。初世浄林(1590-1663)は山城国(京都府)広瀬村の出身で,仁兵衛と称した。2世浄清と共に名越三昌の弟子となり,のち京都に移った。3世浄玄,4世浄頓,5世浄入と続き,6世浄元(古浄元。1688-1762)のときから釜作専業となり,千家出入りの釜師となった。2世浄清の子定林は,江戸大西家の祖となった。
執筆者:大角 幸枝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報