(加島勝)
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江戸中期の茶の湯釜(かま)師。名は義一、彦九郎と称した。能登(のと)国(石川県)中居の鋳物師の出身。前田利常(としつね)に召し出されて金沢に住み、初めは兵器や鉦(しょう)(鳴物(なりもの))の類を製作していたが、のち釜作りに転じた。釜作りの師は京の大西浄清(じょうせい)といわれ、裏千家の仙叟(せんそう)の指導を受けたとも伝えられる。作風は砂肌に「ざんぐり出来(でき)」の薄作りのものを得意とし、柏葉、乙御前(おとごぜ)、車軸、大講堂などの釜の形式があり、ほかに梵鐘(ぼんしょう)や仏具も金沢市内の寺に現存する。正徳2年2月、八十余歳で没したという。宮崎家は代々寒雉を名のり、名跡(みょうせき)は現在にまで及ぶ。
[原田一敏]
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… 利休から数えて4世にあたる仙叟宗室は,はじめ医師を志して野間玄琢に師事し,玄室と称していたが,玄琢の死後千家に戻り,のち加賀藩主前田利常の茶道茶具奉行として仕えるところとなった。その折,京都から大樋長左衛門を伴って金沢に赴き,〈大樋焼〉を開窯し,宮崎寒雉を指導して茶の湯釜を鋳造させたという。臘月庵と号し,織田有楽の孫三五郎長好とも交友をもっている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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