日本大百科全書(ニッポニカ) 「大間々」の意味・わかりやすい解説
大間々
おおまま
群馬県東部、山田郡にあった旧町名(大間々町(まち))。現在はみどり市の中央部に位置する地域。旧大間々町は1889年(明治22)町制施行。1954年(昭和29)福岡村および川内村(一部)を編入。2006年(平成18)、勢多(せた)郡東村(あずまむら)、新田(にった)郡笠懸町(かさかけまち)と合併して市制施行、みどり市となった。半商半農の地方都市で、わたらせ渓谷鉄道、国道122号が通じ、東武鉄道桐生(きりゅう)線の終点赤城(あかぎ)駅は上毛(じょうもう)電気鉄道に接続している。大間々扇状地の扇頂、渡良瀬(わたらせ)川の谷口集落として街村型に発達。「間々」は土の崩れる崖(がけ)の意で、町の西を南北に走る比高10メートルの河岸段丘崖(がい)に起因する。元禄(げんろく)年間(1688~1704)大間々絹市(いち)として栄えたが、やがて桐生市(いち)に押されて生糸市となった。現在は山間部に織物家内工業が残っているが、平野部では自動車部品、エレクトロニクス、食品などの工場が進出している。街の北部の桐原(きりばら)は、足尾銅山の銅の輸送路である銅(あかがね)街道の宿場として、元禄以降、銅問屋と銅蔵(どうくら)が置かれ、郷蔵(ごうくら)はいまに残っている。渡良瀬川に高津戸峡(たかつどきょう)の景勝地がある。
[村木定雄]
『『大間々町誌』全12冊(1993~2001・大間々町)』