天保山(読み)テンポウザン

デジタル大辞泉 「天保山」の意味・読み・例文・類語

てんぽう‐ざん【天保山】

大阪市港区、安治川あじがわ河口の小丘。高さ約4.5メートル。天保年間(1830~1844)に安治川改修の泥上げでできたもの。江戸時代は、目印山めじるしやまと称された。

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精選版 日本国語大辞典 「天保山」の意味・読み・例文・類語

てんぽう‐ざん【天保山】

  1. ( 天保年間(一八三〇‐四四)に行なわれた安治(あじ)川の川ざらえの土砂を盛り上げてできたところから ) 大阪市港区築港、安治川の河口左岸にある小丘。江戸時代は灯台をたて、入港する船舶の目標とし、目印山(めじるしやま)と公称。のち砲台が設置された。現在は天保山公園となっている。

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日本歴史地名大系 「天保山」の解説

天保山
てんぽざん

[現在地名]鹿児島市天保山町など

甲突こうつき川の河口右岸に位置する埋立地で、現在天保山公園などになっている。天保(一八三〇―四四)末年、甲突川の浚渫により生じた土砂によって陸地化された。天保切絵図には清滝きよたき川河口の州崎すざき塩浜から南へ鹿児島湾に突き出るように塩浜が続く様子が描かれている。また同絵図は御船蔵地と水路を隔てた東側の一囲いを塩浜とする。幕末には川尻かわじり砂揚場との呼び方が一般的であったが、単に川尻または砂揚場ともよばれた。明治一七年(一八八四)の鹿児島市街略図(「鹿児島市史」付録)に「旧砂揚場或ハ天保山ト云フ」とあり、同三〇年の市街実地踏査図(同書付録)には天保山とあり、西武田にしたけだ村と荒田あらた村両村の飛地とされている。


天保山
てんぽうざん

[現在地名]港区築港三丁目

安治あじ川の河口部左岸、うしとよばれていた八幡屋やはたや新田地先に天保二年(一八三一)安治川を浚渫した土砂を積上げてできた小山。廻船入津の目標となったため目印めじるし(目標山)と称された。安治川や木津きづ川の河口部は上流より流出する土砂の堆積によって河床が浅くなり、廻船入津に支障をきたした。そのため度々浚渫が行われたが、天保二年、俗に「天保の大浚」「御救い大浚」と称する大規模な浚渫が行われた。この大浚えは大坂西町奉行新見正路が推進役となり、三郷惣年寄から大浚係が任命され、三郷町中をあげての工事となった。


天保山
てんぽうざん

[現在地名]今治市天保山町一―五丁目

寛永一二年(一六三五)松平定房今治入封の時は、東の玄関口拝志はいしの浦に着船したが、同一七年拝志城の石塁を破壊し、今治城外囲新門より東門浜手船頭町に至る間の石垣を築き、御召船入港の便を図った。寛政年間(一七八九―一八〇一)には金星きんせい川河口に沖新地を築造したが、船着場および蔵敷くらしき村の沿岸部は遠浅で、風波をさえぎる島嶼もなく、石垣・堤防等は度々破損している。藩は天保二年(一八三一)正月、大規模の波止めの工事を企画し、御用掛に郡奉行堀江七大夫を任じ、工事責任者には大坂から北山貞助を雇い、翌三年三月に着工し四年七月に完成した(続今治夜話)

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改訂新版 世界大百科事典 「天保山」の意味・わかりやすい解説

天保山 (てんぽうざん)

大阪市港区築港3丁目,安治(あじ)川河口南岸にある天保山公園の小丘。標高7.1m。1831年(天保2),大坂湊の中心をなす安治川河口の波止場へ向かう航路の整備のため浚渫(しゆんせつ)された川の土砂を,西成(にしなり)郡八幡屋新田村地先に積み上げて周囲1.8kmの島と天保山が造成された。当時の標高は約18mであったが,その後の地盤沈下で現在の高さになった。四方の眺望がきく景勝地として大坂新名所となり,《天保山名所図会》は版を重ねた。頂上に設けられた高灯籠は通行する船舶の目標となったので,〈目印(めじるし)山〉とも呼ばれた。1864年(元治1)に沿岸防備の砲台が築かれたため,景勝は損なわれた。97年に着手された大阪築港工事では,起工式が行われた天保山を起点とする南西側海面埋立てが主たる事業となり,1903年には大桟橋(現,中央突堤)が完成して近代的港湾設備が整い,以後この地区が大阪港の中心となり現在に至っている。22年完成をみた天保山桟橋は別府および四国航路の客船でにぎわったが,65年にそれが弁天埠頭に移った後は衰え,徳島行きの高速船乗場(98年廃止)と水上消防署がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天保山」の意味・わかりやすい解説

天保山
てんぽうざん

大阪市港区,安治川河口左岸にある小丘。天保2 (1831) 年に河口を浚渫,その土砂を積上げて築かれた。丘の上に灯を立てて出入港船舶の目印としたので,目印山とも呼ばれた。明治天皇観艦式を行なったときの碑があり,現在,一帯は天保山公園となっている。天保山桟橋は瀬戸内海航路の発着所であったが,1965年7月,安治川内港の弁天埠頭に移転した。天保山の東,安治川河口を阪神高速5号湾岸線 (天保山大橋) が通り,90年に天保山ハーバービレッジがオープンした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天保山」の意味・わかりやすい解説

天保山
てんぽうざん

大阪市西部、港区の安治川(あじがわ)左岸にある人工の山。1831年(天保2)ごろ、安治川の川ざらえの土砂を盛り上げてつくったもの。灯台が建てられ目印山とよばれた。現在は地盤沈下で低くなり、公園になっている。1868年(明治1)日本最初の観艦式を記念する明治天皇観艦之碑もある。天保山桟橋(さんばし)から発着した瀬戸内海航路は、内港の弁天埠頭(ふとう)、さらに南港に移った。天保山客船ターミナルには外航クルーズ客船が寄航する。

[安井 司]

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百科事典マイペディア 「天保山」の意味・わかりやすい解説

天保山【てんぽうざん】

大阪市港区,安治川河口にあったかつての築山(4.5m)。天保年間(1830年―1844年)に安治川浚渫(しゅんせつ)の土砂を盛り上げ入船の目印としたのに由来。現在は地盤沈下のため平地となった。瀬戸内海航路発着点の天保山桟橋があったが,1965年に閉鎖。再開発により,1990年に天保山ハーバービレッジが完成,埠頭,水族館海遊館〉などがある。

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