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大隈言道 おおくま ことみち

デジタル大辞泉の解説

おおくま‐ことみち〔おほくま‐〕【大隈言道】

[1798~1868]江戸後期の歌人。福岡の人。古典趣味を脱した、清新自由な歌風を興した。著「草径集」「ひとりごち」など。

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百科事典マイペディアの解説

大隈言道【おおくまことみち】

江戸末期の歌人。福岡薬院抱安学橋の生れ。通称清助。藩士二川相近に入門,歌と書を学ぶ。39歳で家督を弟に譲り歌に専念。60歳で大坂に上る。門下野村望東尼(もとに)。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大隈言道 おおくま-ことみち

1798-1868 江戸時代後期の歌人。
寛政10年生まれ。幼少より歌と書を二川相近(ふたがわ-すけちか)に,のち漢学を広瀬淡窓にまなぶ。安政4年大坂にでて佐々木弘綱らとまじわり,文久3年家集「草径集」を刊行した。慶応4年7月29日死去。71歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。本姓は清原。通称は清助。号は萍堂。著作はほかに歌論「こぞのちり」など。
【格言など】おのが性にまかせて長じ,とりどりにめでたくあるべし(「ひとりごち」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

大隈言道

没年:明治1.7.29(1868.9.15)
生年:寛政10(1798)
江戸末期の歌人。通称清助,号池萍堂。福岡薬院抱安学橋の商家に生まれた。父は茂助言朝,母は信国又左衛門光昌の娘。幼少のころ,二川相近の門に入り,歌と書を学んだ。35歳のころまでに従来と異なる独自の歌風を獲得,このころ野村望東夫妻が入門した。天保7(1836)年,39歳のとき,家業を弟清右衛門言則に譲り,今泉の池萍堂に隠居した。42歳,豊後日田の広瀬淡窓の咸宜園に入門し漢学を学んだ。安政4(1857)年,60歳のとき,大坂に上り,多年の和歌修業の決算をしようとした。このとき,中島広足,萩原広道,近藤芳樹と交わり,佐々木弘綱と文通する。安政6年に数万首の和歌から選んで『鳧居集』『今橋集』を選し,文久3(1863)年,さらに厳選して『草径集』3巻を刊行,同年,望東の歌集『向陵集』の序を選した。このころから中風の症に苦しみ,最晩年は福岡に帰り,池萍堂で没した。歌論に『ひとりごち』『こぞのちり』があり,前者には「木偶歌」と称する類型的な歌を排し,「吾は天保の民なり」という高らかな宣言とともに,今とここを自覚した作歌を主張している。<参考文献>上田英夫「大隈言道」(『日本歌人講座』5巻)

(飯倉洋一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

おおくまことみち【大隈言道】

1798‐1868(寛政10‐明治1)
江戸末期の歌人。福岡の商家に生まれる。本姓は清原,通称清助。39歳で家を弟にゆずって作歌に専心。60歳の年から12年大坂で過ごし,時の歌人と交遊した。歌集に《草径集》,歌論書に《ひとりごち》《こぞのちり》がある。歌の用語の自由斬新さに特色があり,素材面でも老人子供などを積極的にうたって新境地を開いた。〈吾は天保の民なり,古人にはあらず〉の自覚に立つ歌論にも見るべきものがある。【佐佐木 幸綱】

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大辞林 第三版の解説

おおくまことみち【大隈言道】

1798~1868) 江戸末期の歌人。福岡の商家の出。号、萍堂へいどう。古典模倣を避け、「天保の歌」「商人の歌」を唱える。著「ひとりごち」「こぞのちり」「草径集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大隈言道
おおくまことみち

[生]寛政10(1798).福岡
[没]慶応4(1868).7.29. 福岡
江戸時代後期の歌人。本姓,清原氏。通称,清助。号,萍堂 (ひょうどう) 。商家に生れ,幼少から二川相近 (ふたかわすけちか) に和歌と書を学んだ。天保7 (1836) 年家督を弟に譲り,筑前今泉の池萍堂に隠棲,同 10年広瀬淡窓の門に入って漢学を学んだ。安政4 (57) 年大坂にのぼり,歌の師となるが,受入れられるところ少く,10年ほどで帰国。必ずしも古典につかず,「われは天保の民なり,古人にはあらず」と,時代,環境に即した作歌を主張した。日常身辺のあらゆる物に関心を示し,うど,ねぎ,芋など斬新な題材,用語によって革新的な歌風を詠むことに努めた。弟子に野村望東尼がいる。家集『今橋集』 (60) ,『草径集』 (63) ,歌論書『ひとりごち』 (57) ,『こぞのちり』。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大隈言道
おおくまことみち
(1798―1868)

江戸後期の歌人。通称米屋清助。池萍堂(ちへいどう)、萍堂と号す。筑前(ちくぜん)福岡薬院(福岡市中央区)の商家に生まれ、幼時から書と歌を福岡藩書家二川相近(ふたがわすけちか)に学ぶ。39歳、家業を弟に譲り、今泉(福岡市中央区)の池萍堂(ささのや)に隠棲(いんせい)、歌に専念する。これより先の35歳ごろから新しい道を模索し始め、42歳のとき日田(ひた)の広瀬淡窓(たんそう)に入門、また香川景樹(かげき)の言説にひかれる。1844年(天保15)ごろ歌論『ひとりごち』成る。「吾は天保の民なり、古人にはあらず」すなわち自分のいま生きている時代を自覚すること、実情実景を直語(ただこと)で詠むこと。それを終生徹底的に実践する。60歳のとき歌風を世に問うべく大坂へ上り、6年後の63年(文久3)『草径(そうけい)集』出版、数年後帰国、慶応(けいおう)4年7月29日没、薬院香正寺に葬る。自筆歌稿『大隈言道家集』『今橋集』『続草径集』が現存する。弟子に野村望東尼(もとに)がいる。[穴山 健]
『佐佐木信綱・梅野満雄編『大隈言道』限定版(1918・竹柏会)』

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世界大百科事典内の大隈言道の言及

【草径集】より

…江戸後期の歌人大隈言道(おおくまことみち)の家集。1863年(文久3)刊で,上中下3巻から成る。…

※「大隈言道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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