改訂新版 世界大百科事典 「奈良専二」の意味・わかりやすい解説
奈良専二 (ならせんじ)
生没年:1822-92(文政5-明治25)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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明治期の篤農家、農業技術者。讃岐(さぬき)国三木郡池尻村(香川県三木町)生まれ。若くしてイネの優良種を選抜し、奈良稲とよばれ、近隣に普及した。明治になって香川県勧業係付属となり、1877年(明治10)第1回内国勧業博覧会に自選のイネ、改良農具および稿本『農家得益弁』を出品して受賞、この間、砕土器、甘蔗(かんしょ)圧搾器、運搬車などの改良を行った。84年三田育種場雇となる。翌年『農家得益弁』が出版され、また千葉県巡回教師に迎えられて指導にあたり、これを『新撰(しんせん)米作改良法』として出版した(1888)。その後秋田県の有志に招かれて赴き、同地で没した。
彼の本領は選種であるが、メイチュウ防除指導や西洋野菜・果樹や大麻(たいま)、コンニャクなどの栽培指導も広く行った。
[福島要一]
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…また農会をつうじて老農の優れた経験的な技術の深化と普及が進むなど,明治農法の基礎が固まった。 著名な老農には,イネの品種改良や耕種改善に功のあった中村直三や奈良専二,勧農社を組織して馬耕教師と抱持立犂(かかえもちたちすき)を全国にひろめた林遠里,駒場農学校から農商務省の巡回教師となった船津伝次平,勤倹力行を鼓吹した石川理紀之助などがおり,とくに中村,船津,奈良(あるいは林)を明治三老農という。しかし老農も,90年代に農科大学や農事試験場などが整備され,近代的な輸入農学が消化されると,しだいに活躍の場も狭くなっていった。…
※「奈良専二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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