奈良専二
没年:明治25.5.4(1892)
生年:文政5.9.13(1822.10.27)
中村直三,船津伝次平と共に明治三老農と呼ばれた。讃岐国三木郡池戸村(香川県三木町)の組頭奈良佐四郎の長男。少年時代近郷の私塾に学び,数理に長け機械工作に才能を示し,また農事に親しんだ。弘化年間(1844~48)一本稲を選抜し,奈良稲と名づけ普及させる。嘉永4(1851)年池戸村組頭となり,次いで香川県勧業掛,副戸長など公職を務めるかたわら,農具の改良,発明にも力を注ぎ,精米機の工夫,毛引車の改良,甘蔗圧搾機の改良などを行い,明治1(1868)年には「ころまぐわ」と呼ぶ一種の畜力砕土器を発明,農民の労力軽減,能率向上に尽くした。10年東京で開かれた第1回内国勧業博覧会に著書『農家得益弁』(稿本)と「ころまぐわ」を出品,賞を受けたのが契機となり全国的に活躍するようになる。15年の共進会では米作改良の功で農商務卿から功労章を授けられた。16年家業を養子栄太郎に譲って上京,農務局三田育種場に勤めて研鑽を積み,18年には千葉県の招きで農務課員となり米作改良に尽力。23年秋田県仙北郡花館村(大曲市)の地主佐々木多右衛門らの招きで同地に赴き,農事改良を指導,同村で客死。<参考文献>須々田黎吉「『新撰米作改良法』解題」(『明治農書全集』2巻)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
奈良専二 (ならせんじ)
生没年:1822-92(文政5-明治25)
明治前期の三老農の一人。讃岐国(香川県)出身。1872年(明治5)から89年までの間,香川県庁,三田育種場,千葉県庁に勤め農事の普及指導にあたった。晩年秋田県花館村(現,大仙市)の佐々木太衛門に招かれ同地で活躍中没した。水稲の優良品種〈正奈良稲〉〈大奈良稲〉などの選抜育成,砕土機や甘蔗圧搾器ほか各種農具の改良くふう,害虫防除をはじめ各種作物の栽培指導に功績があった。著書に《農家得益弁》《新撰米作改良法》《蒟蒻(こんにやく)栽培調理法》などがある。
執筆者:安田 健
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良専二
ならせんじ
(1822―1892)
明治期の篤農家、農業技術者。讃岐(さぬき)国三木郡池尻村(香川県三木町)生まれ。若くしてイネの優良種を選抜し、奈良稲とよばれ、近隣に普及した。明治になって香川県勧業係付属となり、1877年(明治10)第1回内国勧業博覧会に自選のイネ、改良農具および稿本『農家得益弁』を出品して受賞、この間、砕土器、甘蔗(かんしょ)圧搾器、運搬車などの改良を行った。84年三田育種場雇となる。翌年『農家得益弁』が出版され、また千葉県巡回教師に迎えられて指導にあたり、これを『新撰(しんせん)米作改良法』として出版した(1888)。その後秋田県の有志に招かれて赴き、同地で没した。
彼の本領は選種であるが、メイチュウ防除指導や西洋野菜・果樹や大麻(たいま)、コンニャクなどの栽培指導も広く行った。
[福島要一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
奈良専二
ならせんじ
[生]文政5(1822).讃岐
[没]1892.5.4. 秋田
明治前期の代表的な篤農家で,船津伝次平,中村直三とともに「明治の三老農」と称された。香川,千葉の県庁,三田育種場などに勤務して勧農事業に励んだ。一本稲の多収性に注目,そのなかから正奈良稲と大奈良稲を選抜した。在来の馬鍬 (まぐわ) を改良して破塊器を発明したり,甘蔗圧搾器や猫車 (運搬用一輪車) も考案。著書に『農家得益弁』『新撰米作改良法』などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
奈良専二 なら-せんじ
1822-1892 幕末-明治時代の農村指導者。
文政5年9月13日生まれ。讃岐(さぬき)(香川県)の人。稲の優良品種,奈良稲を育成し,普及させた。維新後は砕土器や甘蔗(かんしょ)圧搾器の発明,改良をおこない,千葉・秋田県など各地で農事指導にあたった。明治25年5月4日死去。71歳。著作に「農家得益弁」「新撰米作改良法」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
奈良専二【ならせんじ】
明治三老農の一人。讃岐(さぬき)の人。一本稲(奈良稲)を普及させ,砕土器,甘蔗圧搾器,猫車(運搬用一輪車)等を発明。イネの虫害防除や西洋野菜栽培にも貢献。のち千葉・秋田両県で米作改良に努めた。著書《新撰米作改良法》等。→老農
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
奈良 専二 (なら せんじ)
生年月日:1822年9月13日
明治時代の篤農家
1892年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の奈良専二の言及
【老農】より
…また[農会]をつうじて老農の優れた経験的な技術の深化と普及が進むなど,明治農法の基礎が固まった。 著名な老農には,イネの品種改良や耕種改善に功のあった[中村直三]や[奈良専二],勧農社を組織して馬耕教師と抱持立犂(かかえもちたちすき)を全国にひろめた[林遠里],駒場農学校から農商務省の巡回教師となった[船津伝次平],勤倹力行を鼓吹した[石川理紀之助]などがおり,とくに中村,船津,奈良(あるいは林)を明治三老農という。しかし老農も,90年代に農科大学や農事試験場などが整備され,近代的な輸入農学が消化されると,しだいに活躍の場も狭くなっていった。…
※「奈良専二」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」