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奥田元宋 おくだ

美術人名辞典の解説

奥田元宋

日本画家。広島県生。名は厳三。児玉希望に師事する。自然と自己の内面を照応した幽玄な山水で精神性の濃い絵画世界を築く。日展常任理事・審査員。日本芸術院会員。文化功労者。文化勲章受章平成15年(2003)歿、90才。

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百科事典マイペディアの解説

奥田元宋【おくだげんそう】

日本画家。広島県生れ。本名厳三。日彰館中学卒。児玉希望に師事。1936年《三人の女性》が文展入選。1956年日展会員となる。山岳風景の四季を豊かな色彩で描く。代表作《待月》《磐梯》。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

奥田元宋 おくだ-げんそう

1912-2003 昭和-平成時代の日本画家。
明治45年6月7日生まれ。児玉希望にまなび,昭和11年「三人の女性」で文展鑑査展に初入選,13年新文展,24年日展で特選。37年日展で「磐梯(ばんだい)」が文部大臣賞,翌年芸術院賞。48年芸術院会員。51年人形作家・奥田小由女(さゆめ)と結婚。52年日展理事長。59年文化勲章。「秋嶽紅樹」など鮮烈な赤でえがいた風景画で知られ,平成8年には銀閣寺障壁画4部作「山霊重畳」を完成させた。歌会始召人に選ばれるなど歌人としても知られた。平成15年2月15日死去。90歳。広島県出身。本名は厳三。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奥田元宋
おくだげんそう

[生]1912.6.7. 広島
[没]2003.2.15. 東京
日本画家。本名は厳三。 1931年日影館中学校卒業。児玉希望に師事する。 1936年『三人の女性』で文展鑑査展に初入選,1938年,谷崎潤一郎の『春琴抄』にテーマを得た『盲女と花』で新文展,1949年『待月』で日展のそれぞれ特選。さらに 1962年には『磐梯』で新日展文部大臣賞と翌年の日本芸術院賞を受賞した。 1973年芸術院会員。一方,短歌,漢詩も学び,1981年宮中歌会始めの召人を務め,文化功労者にも選出された。日本の風景美の伝統を受け継いだ静かで神秘的な水墨画の世界に,多彩な色使いによる色彩美を加え,新朦朧派と評される独自の風景画を確立した。 1984年文化勲章を受章。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奥田元宋
おくだげんそう
(1912―2003)

日本画家。本名厳三(げんそう)。広島県吉舎(きさ)村(現、三次市)に生まれる。1931年(昭和6)中学を卒業後上京し児玉(こだま)希望(1898―1971)の門に入った。38年第2回新文展で『盲女と花』が特選。49年(昭和24)第5回日展で白寿賞を受賞。その後たびたび日展や新日展の審査員を務め、62年に社団法人日展の評議員。またこの年の日展に出品した『磐梯(ばんだい)』は文部大臣賞となり、翌63年この作品によって日本芸術院賞を受賞した。77年日展理事長となる。風景画を得意とし、重厚な観照と甘美な情趣とをあわせもつ画風。84年文化勲章受章。96年(平成8)京都・銀閣寺(慈照寺(じしょうじ))の障壁画を完成させた。[原田 実・二階堂充]
『『奥田元宋画集』(1979・実業之日本社) ▽奥田元宋・村瀬雅夫著『現代日本画全集 第14巻 奥田元宋』(1983・集英社) ▽『奥田元宋画集』(1990・読売新聞社) ▽『豊饒の泉――奥田元宋短歌集』(1997・読売新聞社) ▽『山燃ゆる――奥田元宋自伝』(2001・日本経済新聞社) ▽山本健吉著『遊びといのち――山本健吉対談集』(1986・角川書店) ▽田中日佐夫編著『創造の小径――作品と評論でよむ美術家の制作過程(1)』(1993・美術年鑑社)』

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