奥田元宋(読み)おくだげんそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「奥田元宋」の意味・わかりやすい解説

奥田元宋
おくだげんそう
(1912―2003)

日本画家。本名厳三(げんそう)。広島県吉舎(きさ)村(現、三次市)に生まれる。1931年(昭和6)中学を卒業後上京し児玉(こだま)希望(1898―1971)の門に入った。1938年第2回新文展で『盲女と花』が特選。1949年(昭和24)第5回日展で白寿賞を受賞。その後たびたび日展や新日展の審査員を務め、1962年に社団法人日展の評議員。またこの年の日展に出品した『磐梯(ばんだい)』は文部大臣賞となり、翌1963年この作品によって日本芸術院賞を受賞した。1977年日展理事長となる。風景画を得意とし、重厚な観照と甘美な情趣とをあわせもつ画風。1984年文化勲章受章。1996年(平成8)京都・銀閣寺慈照寺(じしょうじ))の障壁画を完成させた。

原田 実・二階堂充]

『『奥田元宋画集』(1979・実業之日本社)』『奥田元宋・村瀬雅夫著『現代日本画全集 第14巻 奥田元宋』(1983・集英社)』『『奥田元宋画集』(1990・読売新聞社)』『『豊饒の泉――奥田元宋短歌集』(1997・読売新聞社)』『『山燃ゆる――奥田元宋自伝』(2001・日本経済新聞社)』『山本健吉著『遊びといのち――山本健吉対談集』(1986・角川書店)』『田中日佐夫編著『創造の小径――作品と評論でよむ美術家の制作過程(1)』(1993・美術年鑑社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「奥田元宋」の解説

奥田元宋 おくだ-げんそう

1912-2003 昭和-平成時代の日本画家。
明治45年6月7日生まれ。児玉希望にまなび,昭和11年「三人女性」で文展鑑査展に初入選,13年新文展,24年日展で特選。37年日展で「磐梯(ばんだい)」が文部大臣賞,翌年芸術院賞。48年芸術院会員。51年人形作家・奥田小由女(さゆめ)と結婚。52年日展理事長。59年文化勲章。「秋嶽紅樹」など鮮烈な赤でえがいた風景画で知られ,平成8年には銀閣寺の障壁画4部作「山霊重畳」を完成させた。歌会始召人に選ばれるなど歌人としても知られた。平成15年2月15日死去。90歳。広島県出身。本名は厳三。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「奥田元宋」の意味・わかりやすい解説

奥田元宋
おくだげんそう

[生]1912.6.7. 広島
[没]2003.2.15. 東京
日本画家。本名は厳三。 1931年日影館中学校卒業。児玉希望に師事する。 1936年『三人の女性』で文展鑑査展に初入選,1938年,谷崎潤一郎の『春琴抄』にテーマを得た『盲女と花』で新文展,1949年『待月』で日展のそれぞれ特選。さらに 1962年には『磐梯』で新日展文部大臣賞と翌年の日本芸術院賞を受賞した。 1973年芸術院会員。一方,短歌,漢詩も学び,1981年宮中歌会始めの召人を務め,文化功労者にも選出された。日本の風景美の伝統を受け継いだ静かで神秘的な水墨画の世界に,多彩な色使いによる色彩美を加え,新朦朧派と評される独自の風景画を確立した。 1984年文化勲章を受章。

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百科事典マイペディア 「奥田元宋」の意味・わかりやすい解説

奥田元宋【おくだげんそう】

日本画家。広島県生れ。本名厳三。日彰館中学卒。児玉希望に師事。1936年《三人の女性》が文展入選。1956年日展会員となる。山岳風景の四季を豊かな色彩で描く。代表作《待月》《磐梯》。1981年文化勲章。

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