20世紀日本人名事典 「奥田元宋」の解説
奥田 元宋
オクダ ゲンソウ
昭和・平成期の日本画家
- 生年
- 明治45(1912)年6月7日
- 没年
- 平成15(2003)年2月15日
- 出生地
- 広島県双三郡八幡村辻(現・吉舎町)
- 本名
- 奥田 厳三
- 別名
- 旧雅号=奥田 成珠
- 学歴〔年〕
- 日彰館中〔昭和6年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 児玉希望画塾塾賞(第1回)〔昭和12年〕「舞踏場の一隅」,新文展特選(第2回)〔昭和13年〕「盲女と花」,日展特選・白寿賞(第5回)〔昭和24年〕「待月」,日展文部大臣賞〔昭和37年〕「磐梯」,日本芸術院賞〔昭和38年〕「磐梯」,文化功労者〔昭和56年〕,文化勲章〔昭和59年〕
- 経歴
- 昭和6年同郷の先輩で遠縁にあたる日本画家・児玉希望を頼り上京、内弟子となる。11年「三人の女性」で文展初入選。この頃画号を元宋とする。13年第2回新文展に谷崎潤一郎作「春琴抄」に題をとった「盲女と花」を出品し、特選受賞。19年広島に帰って風景を描きはじめ、心象を色濃く投影した風景画を発表。25年日月社結成に参加。30年日展審査員、33年会員、37年評議員、49年常務理事、52年理事長、のち顧問となる。37年新日展で「磐梯」が文部大臣賞になり、翌年芸術院賞を受賞。54年日ソ美術友好使節団の一員として、訪ソ。同年回顧展「幽玄讃歌」。58年全国巡回回顧展開催。晩年は大作に挑み、平成8年京都・銀閣寺内に30面を超える壁画を完成させた。昭和56年文化功労者、59年文化勲章受章。一貫して西洋の色彩表現と水墨画などに見られる精神性を追求。特に50年代以降、「秋嶽紅樹」など紅葉した山を鮮烈な赤色で描いた“山宋の赤”と呼ばれる赤をモチーフにした作品で知られた。歌人としても優れ、戦中に疎開先で創作を始め、56年には宮中歌会始の召人に選ばれた。平成9年歌集「豊饒の泉」を上梓。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報