姫島村(読み)ひめしまむら

日本歴史地名大系 「姫島村」の解説

姫島村
ひめしまむら

[現在地名]志摩町姫島

芥屋けや村の西方海上に位置する島(標高一八六・七メートル、周囲四・三キロ)で、元禄国絵図では南北一二町一二間・東西八町半。西浦にしのうら(現福岡市西区)へ七里、芥屋および岐志きしへ三里などとある。北西五里に無人島の烏帽子えぼし(周囲五、六町、高さ五間ばかり)がある(続風土記附録)。小早川時代の指出前之帳では小金丸こがねまる村のうち。慶長七年(一六〇二)の検地高三七石余、うち大豆三一石余(慶長石高帳)。元禄元年(一六八八)の村位は中、田三反余・畠九町一反余で、高四八石余(「志摩郡御床触郡帳」鎌田家文書)。ほかに壱作畠四畝余があった(享保二年「志摩郡村々田畠畝高帳」同文書)。田圃志による同五年の高、石高書上帳案の郡帳高も四八石余。慶長一〇年八月二五日、姫島などに黒田長政の浦掟(新訂黒田家譜)が出されているが、本来は岡分で、寛文七年(一六六七)から浦分になったともいう(「自天正寛文年間古記」朱雀家文書)


姫島村
ひめしまむら

面積:六・七七平方キロ

国東半島の北部に位置する国見くにみ町の伊美いみ港から北方約六キロに位置する島で、東西約七キロ・南北約二キロ。島の中央部に矢筈やはず(二六六・六メートル)、西に達磨だるま(一〇五メートル)、北にしろ山があり、はしらヶ岳と両瀬もろせを合せた五つの火山を結ぶ砂洲により成立した陸繋島である。集落の集中する平地は畑作地帯でもある。島内の観音崎かんのんざき黒曜石、スはな藍鉄鉱大海おおみ海岸の波状褶曲と断層は県指定の天然記念物。気候は瀬戸内型気候で温暖。年平均気温摂氏一六度、年間降水量一〇〇〇ミリ強。


姫島村
ひめしまむら

[現在地名]東海市富木島ふきしま

東に丘陵がつらなり、西に集落が発達。村の東から西へ姫島川が流れる。北は冨田とみだ村、東は長草ながくさ(現大府市)に接する。地名の由来は、木田きだ城に仕える女官たちが、海が入り込んで島にみえたこの地に、生理時疎開する風習があったからだという。

織田信雄支配下では、重臣中川勘右衛門が一八〇貫文、石川六郎三郎が一三三・五貫文、佐治仁右衛門が一六〇貫文の給知をもった(織田信雄分限帳)。源敬様御黒印写(徳川林政史蔵)によれば、元和―寛永(一六一五―四四)頃、成瀬吉左衛門が一九四石余、寺尾小源太・服部作十郎がそれぞれ一〇〇石、曲淵八右衛門が五〇石の給知をもっていた。


姫島村
ひめしまむら

[現在地名]成東町姫島

しま村の西に位置し、東金とうがねに通じる道が通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高三八八石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では家之子組に属し、高四一一石余、旗本権太・松上(松平か)領と佐倉藩領。元禄一三年(一七〇〇)高一二七石余が下総結城藩領となる(下総結城藩領知目録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「姫島村」の意味・わかりやすい解説

姫島〔村〕
ひめしま

大分県北東部,国東半島の北東,周防灘に浮かぶ姫島にある村。一島一村。江戸時代の初めは小倉藩,寛永9 (1632) 年以降は杵築藩領となった。かつては製塩が主産業であったが,近代以降沿岸漁業クルマエビの養殖が中心。夏には海水浴キャンプなどに訪れる客でにぎわう。国東半島北端の伊美港 (国東市) との間にフェリーが運航。瀬戸内海国立公園に属する。面積 6.99km2。人口 1725(2020)。

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