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「姫島」の意味・読み・例文・類語
ひめ‐しま【姫島】
大分県北東部、国東半島北端の沖約5キロメートルにある島。面積7.2平方キロメートル、周囲17キロメートル。最高点は鐘状火山の矢筈岳の267メートル。夏は海水浴・キャンプ場でにぎわう。日本書紀垂仁記や万葉集に名がみえる。瀬戸内海国立公園に属する。
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ひめ‐しま【姫島】
- [ 一 ] 古く、淀川の河口にあった島。大阪市西淀川区の姫島(旧稗島町)付近とも考えられるが未詳。
- [初出の実例]「天皇豊楽(とよのあかり)為たまはむと将て、日女嶋に幸行(い)でませる時に」(出典:古事記(712)下)
- [ 二 ] 大分県北東部、周防灘にある島。国東(くにさき)半島北方約五キロメートルの沖合にある。面積七・二平方キロメートル。四つの小火山島が砂州で連結されてできた。瀬戸内海国立公園の一部。女嶋。
- [初出の実例]「次に女嶋(ヒメシマ)を生む。亦の名は天(あま)一根と謂ふ」(出典:古事記(712)上(兼永本訓))
- [ 三 ] 福岡県北西部、玄界灘にある島。糸島郡志摩町の仏崎西方約三キロメートルの沖合にある。面積〇・七五平方キロメートル。江戸時代は黒田藩の流刑地で、野村望東尼が流された。
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姫島
ひめしま
[現在地名]姫島村 西浦・中村・北浦・須賀・南浦・松原・大海・稲積・金・両瀬
国東半島の北四キロの海上に位置する離島。島中央部の矢筈岳をはじめ五つの火山をつなぐ砂洲の平地に集落が集中する。鎌倉時代は宇佐宮弥勒寺領であった。南北朝期から戦国時代には姫島氏を中心とする在地武士団の姫島寄合中が活躍、大友氏の浦辺水軍に属していた。
小倉藩元和人畜改帳によると高一〇二石余、家数八一、うち百姓一七・山ノ口一、隠居・庭屋・牛屋・名子家四八、人数一六一、うち百姓一七・名子一一、牛一八。正保郷帳では伊美庄に属し、田方三〇石余・畑方五七石余、茅山・柴山・新田がある。寛文二年(一六六二)の屋敷畠検地帳(藤内家文書)では高三九一石余、反別一〇五町五反余で、田方の高・反別は不明。天保郷帳では高五四四石余となっている。元禄七年(一六九四)の人数九一五、うち漁師三五、鯛取船二・廻船一七(「御尋ニ付御答控」古庄家文書)。弘化四年(一八四七)の家数三七六・人数二千二(豊後国東半島史)。漁船は嘉永五年(一八五二)一八六艘、万延元年(一八六〇)には一七七艘(「御用日記帳」古庄家文書)。姫島は杵築藩の流刑地で、庄屋は慶長年間(一五九六―一六一五)に移住した古庄氏が代々勤めた。
姫島
ひめしま
山城石清水八幡宮領の庄園で、領家は宇佐宮神宮寺の弥勒寺。安元二年(一一七六)二月日の八幡宇佐宮符(奈多八幡縁起私記)に姫嶋とみえ、宇佐宮は姫嶋御預と住人に六年に一度の行幸会の綾御船解纜雑事所役として葛三〇束・阿和佐三斗・塩三斗三升を、また島沙汰人・住人・竹預および櫛来浦(現国見町)に御簾竹五四〇束を進上するよう命じている。文治二年(一一八六)四月一三日姫島を含む豊後国浦部十五箇庄に対する国司の妨害を停止し、寺家に返付することが命じられている(「後白河院庁下文案」益永家記録)。しかし建久八年(一一九七)のものとされている豊後国図田帳宇佐宮弥勒寺領抜書案(到津文書)には「姫嶋浦三丁 預所同地頭」とあり、同浦は海上の島で、もとより寺領ではなく、海人らの栖として「細庭許也」とされる。豊後武士団緒方惟栄らの焼打ち後の仮殿造営に際しても、豊後一国役の負担区分に名をみせない(「宇佐宮仮殿地判指図」宇佐神宮蔵)。また年月日未詳の弥勒寺喜多院所領注進状(石清水文書)には姫島畠となっており、面積も記載されていない。
姫島
ひめしま
沖の島の西方海上に浮ぶ無人島。周囲四・五キロ、面積〇・四八二平方キロ。足摺宇和海国立公園に含まれる。北方に鵜来島がある。
江戸時代にも無人島であったが、周辺海域が好漁場で、島は土佐・伊予両国に分属、支配も土佐藩・宇和島藩に分れていた。「沖島弘瀬浦焼網漁来由並雑記」(「南路志」所引三浦家文書)は「姫島廻り廿八丁五拾間」とし、「北鼻針本にして東西に打別る、西の方弘瀬より一里半法方角乾千百三十一間、姫島廻り之間、右姫島にキレタウ有、夫より南は御当領也、既公義御捌き、沖島幕打はへより姫島切レとう限、南は土佐国たるへし有之也」と述べ、続けて「姫島山之高下水盛並方角」として「但島廻り初之通針本にして打上る法六百七十六間四尺高百五十間三尺五寸」と記す。
姫島
ひめしま
[現在地名]岐宿町姫島郷
白石浦の北西沖に位置する島。現三井楽町柏に近い。「策彦入明記」天文一〇年(一五四一)六月二六日条に「五島西面姫島」とみえ、帰国する遣明船に同乗していた五島膳左衛門がこのように島名を言ったという。岐宿の住人が船で当島にツワをとりに行ったところ、にわかに風波が起こり我先にと乗船して沖合に乗出したため、この無人島に置去りにされた姫は貝を食糧とするほかなく、やがて貝を口にしたまま絶命したという伝承がある。寛政六年(一七九四)姫島に唐船八〇人乗一艘が漂着している(増補継志系図)。同九年大村領のキリシタンが移住し始め、近海が好漁場であったことから漁業に従事していたが、飲水や耕地に乏しく、それらは三井楽や岐宿に依存していたとされる。
姫島
ひめしま
渥美湾岸田原町片浜より北方四キロの海上にある楕円形の孤島で、周囲四キロ、標高六二・一メートル、小松が密生した無人島。古墳一基があるから、古代は人の住んだこともあろう。倭姫命住居の伝説があり、寛文一〇年(一六七〇)から享保九年(一七二四)まで田原藩が馬の放牧を行っていた。寛文一〇年の藩日記「万留書」(田原町蔵)に初めて飛馬島の名がみえる。「三河雑抄」に「姫嶋――前芝ヲ乗出シテ海上二里余ニシテ左ノ方ニ見ユ、此島ニ野馬有ト云」とある。明治以前は多く飛馬島という名で書かれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
姫島 (ひめしま)
福岡県西部,玄界灘に浮かぶ島。糸島半島西端の西方約3kmにあり,糸島市の旧志摩町に属する。面積0.75km2,人口194(2010)。ほぼ円形で南端に砂州を突出し,島の大部分は花コウセン緑岩からなる山地で,標高187mの山頂付近は玄武岩におおわれる。南西麓のわずかな低地に集落があり,アワビ,サザエなどの養殖や定置網,刺網,はえなわなどによる漁業を営む。水田はなく,かつては女子が対岸の農村へ出稼ぎにいく慣習があったが,現在は若者の多くが島を離れ,夫婦乗船の漁業が行われている。近世は福岡藩の流刑地で,唐津や壱岐を望む南西岸には1865年(慶応1)に配流された幕末の歌人野村望東尼の流島の碑と,復元された獄舎がある。志摩町岐志(きし)から定期船が通じる。
執筆者:土井 仙吉
姫島 (ひめしま)
大分県最北部,国東(くにさき)半島の北端から約5kmの周防灘に浮かぶ島。面積7.2km2。1島で東国東郡姫島村を構成する。人口2189(2010)。四つの島が砂州でつながった東西に細長い島で,最高峰矢筈(やはず)岳(267m)は,山陰系の鐘状火山である。観音崎の黒曜石,大海(おおみ)の地層褶曲,ナウマンゾウの化石など地質学的に貴重なものが多く,〈地質学の標本室〉と呼ばれている。観光と漁業の島で,農業はわずかにみられるにすぎない。小型動力船でタイ,タコ,フグ,スズキなどを漁獲する。北浦の旧塩田跡を利用してつくられたクルマエビ養殖場の規模は日本一である。瀬戸内海国立公園に含まれ,国東半島の国見町からフェリーが通じる。
執筆者:勝目 忍
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
姫島(村)
ひめしま
大分県北東部、国東半島(くにさきはんとう)の北方5キロメートルにある1島1村の村。東国東郡に属する。カレイ、タイ、タコ、フグ、スズキ、貝、ノリなどの沿岸漁業を主とし、女性は畑作、牛・豚の飼育に従っていたが、タイラギ(タイラガイ)の潜水漁業の盛業で共働きが多くなった。塩田跡のクルマエビ養殖も盛ん。美しい海と新鮮な魚貝を求めて訪れる観光客が多い。毎年8月14日~16日の盆踊りには島は興奮のるつぼと化する。面積6.99平方キロメートル、人口1725(2020)。
[兼子俊一]
姫島(福岡県)
ひめしま
福岡県糸島市(いとしまし)に属する玄界灘(げんかいなだ)の島で、周囲約4キロメートル、面積0.75平方キロメートル。糸島半島西端仏(ほとけ)崎の西方約3キロメートルの海上にある円形の島で、南端に曽根(そね)崎の砂州が突出、おもに花崗(かこう)岩からなるが島頂部には玄武岩がのる。南西部に50戸ほどの小漁業集落が立地し、大敷網、延縄(はえなわ)、小型底引網などの漁業に従事しているが、若年層の流出が著しい。江戸時代は福岡藩の流刑地で、1865年(慶応1)には維新の女傑野村望東尼(もとに)が流され、南西岸にその記念碑がある。対岸の糸島市志摩岐志(しまきし)から定期船があり、近年は釣り客や行楽客も増加している。人口196(2009)。
[石黒正紀]
姫島(大分県)
ひめしま
大分県北東部、国東半島(くにさきはんとう)の北方5キロメートル、周防灘(すおうなだ)にある島。姫島村。4つの古い小火山島が砂州によって連結された島で、面積6.85平方キロメートル。人口2519(2009)。対岸の国東市国見町(くにみまち)伊美(いみ)との間にフェリーボートの便がある。生業は沿岸漁業を主、農牧業を副とする。砂州部に小水田が開け、柱ヶ岳鼻(はしらがだけはな)、観音崎(かんのんざき)、追崎(おいざき)の三小旧噴火口は畑地化されている。観音崎の黒曜石断崖(だんがい)、柱ヶ岳鼻の海食洞門、大海(おおみ)の第三紀層の引曳褶曲(いんえいしゅうきょく)などの地域は瀬戸内海国立公園の一部である。
[兼子俊一]
姫島(高知県)
ひめしま
高知県南西端、宿毛(すくも)湾口にある無人島。面積0.48平方キロメートル。宿毛市に属す。江戸時代は宇和島藩領であったが、1874年(明治7)高知県へ移管された。周囲は断崖(だんがい)をなしわずかに磯浜(いそはま)がある。足摺(あしずり)宇和海国立公園域で、沖の島海域公園に指定されている。
[編集部]
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姫島【ひめしま】
大分県国東(くにさき)半島北方にある島。東国東郡姫島村(6.98km2,2189人。2010)をなす。四つの火山島が砂州でつながったもので,最高点は矢筈岳(267m)。12世紀より宇佐宮弥勒寺領としてみえ,南北朝期には姫島氏の活躍があり,江戸時代には180艘余の漁船をもち,また製塩も行われていた。タイ漁など漁業を主とする。観音崎の黒曜石断崖,柱ヶ岳鼻の海食洞などがあり,全域瀬戸内海国立公園に属する。
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姫島
ひめしま
福岡県北西部,糸島半島の西方約 3kmにある島。糸島市に属する。大敷網,延縄,小型底引網などの沿岸漁業を主とし,地区背後の段々畑で野菜を栽培。福岡藩の流刑地で,維新の女傑野村望東尼の獄舎跡に御堂がある。玄海国定公園に属する。面積 0.75km2。人口 211(2000)。
姫島
ひめしま
大分県北東部,国東半島北端の沖合い約 4kmの周防灘にある島。姫島村を形成。2つの火山島が砂州によって連結された東西に細長い島で,中央南部の矢筈岳 (267m) が最高点。観音崎の黒曜石の断崖,ス鼻岬の藍鉄鉱,地層褶曲,柱ヶ岳鼻の海食崖などがあり,瀬戸内海国立公園に属する。面積 6.78km2。人口 2761 (2000) 。
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姫島〔福岡県〕
福岡県糸島市、糸島半島の西約4キロメートルに位置する筑前諸島の島。面積約0.75平方キロメートル。江戸時代には福岡藩の流刑地。幕末の女流歌人・野村望東尼(もとに)が配流された地として有名で、記念碑などがある。
姫島〔長崎県〕
長崎県五島市三井楽町の柏崎から北北東約2.4kmに位置する無人島。古くはキリシタンの島。明治期には島民300人ほどを数えたが、1965年に無人化。
姫島〔山口県〕
山口県阿武郡阿武町、宇田地区の西沖合いに位置する無人島。大小2つの島からなり、ハマビワ、ホルトノキなどの暖地性植物がみられる。
姫島〔愛知県〕
愛知県田原市の三河湾南東部に位置する無人島。江戸時代には馬が放牧されたことから、「飛馬島」とも表記した。
姫島〔高知県〕
高知県宿毛市、沖の島の西約4kmに位置する無人島。周辺はダイビングスポット。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典(旧版)内の姫島の言及
【姫島】より
…面積7.2km2。1島で東国東郡姫島村を構成する。人口2996(1995)。…
※「姫島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」