中国、山東(さんとう)省東部、山東半島最東部の地級市。人口254万8000(2014)。2市轄区を管轄し、2県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。市中心部の東、西、南の三方は山に囲まれ北側には天然の防波堤のように劉公(りゅうこう)島という小島がある。港の水深は深く、終年凍結しない。ただ地形上、後背地に平野が乏しく、そのため発展が制限された。周辺の丘陵地帯ではリンゴを産する。広い海域を有することから、国内有数の水産物の産地となっている。高速鉄道の青栄城際鉄道(青島(チンタオ)―栄成(えいせい))が通り、威海国際空港からは国内外の都市への航空路線が開設されている。
渤海(ぼっかい)湾の入口を扼(やく)する地点に位置するため、昔から重要視されてきた。たとえば、威海衛の「衛」は明(みん)代の軍制で地方分駐防衛の場所をいうが、当時この地もその一つとされたので、威海衛とよばれた。清(しん)代に入ると衛は廃止され、この地は文登(ぶんとう)県に編入された。その後19世紀末に至って北洋海軍の軍港となったため、ふたたび旧名の威海衛が用いられるようになった。日清戦争では日本軍の攻撃を受けた。続いてロシア、ドイツが、旅順(りょじゅん)、膠州(こうしゅう)湾をそれぞれ租借すると、イギリスはロシアとの対抗上、1898年に威海衛を租借して海軍根拠地とした。期間はロシアの旅順租借期間と同一とされた。1930年になり、当時の政府(国民政府)はイギリスと交渉し、威海衛に対する支配権を取り戻すことに成功した。
[倉橋正直・編集部 2017年1月19日]
中国,山東省の市。人口42万(1994)。かつては威海衛と称した。烟台地区に属する。山東半島の北東端にある。湾と島で天然の要塞をなす良港をもつ。明代倭寇の跳梁に対し半島には多くの防御基地が設けられたが,ここにも1398年(洪武31)衛が置かれ,文登県に属していた。1887年(光緒13)には北洋海軍の基地となり,劉公島には提督署が置かれた。日清戦争に際しては提督丁汝昌に率いられる精鋭艦隊が集結していたが,日本海軍の攻撃に敗れ,戦役の方向を決めた。戦役後,日本が占領していたが,そののちイギリスが租借して西洋式都市とし,東洋艦隊の基地とした。港としてはよい条件をもつが,後背地の交通に欠け経済的には発展せず,中継貿易港として栄えるのみであった。1930年,中国に返還され,45年市となった。
執筆者:秋山 元秀
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