昭和期の経済学者 元・東京大学教授。
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マルクス経済学者。岡山県倉敷の生れ。1921年東京帝大経済学部を卒業し,大原社会問題研究所に入る。22-24年ドイツに留学。帰国後,東北帝大法文学部助教授。38年いわゆる労農派教授グループ事件(人民戦線事件)に連座。41年辞職して,日本貿易研究所に勤務。44年三菱経済研究所に移る。47年東京帝大社会科学研究所教授。58-68年法政大社会学部教授。主要な業績は,経済学の研究を原理論,段階論,現状分析の3分野に分けるいわゆる3段階論の提唱(《経済学方法論》1960,など),《資本論》の原理論としての再構成(《経済原論》上・下,1950-52,など),蓄積様式の世界史的3類型の確定(《経済政策論》1954)などである。〈宇野理論〉は戦後マルクス経済学の最大の成果の一つであるが,正統的マルクス研究からは異端視される。70年代より国際的にも注目され,80年には《経済原論》の英訳が刊行された。《宇野弘蔵著作集》10巻(1973-74)がある。
執筆者:山口 重克
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日本の生んだ代表的なマルクス経済学者。明治30年11月12日岡山県倉敷に生まれる。1921年(大正10)東京帝国大学経済学部卒業。ドイツ留学後、東北帝国大学助教授となって経済政策論を担当。当時の労作『経済政策論』(上)を通して、経済学の原理的研究と政策論との関連性についての思索を深めた。38年(昭和13)いわゆる人民戦線事件に連座、起訴され、無罪となったが、結局41年同大学を去り、民間の研究所に移った。第二次世界大戦後、東京大学社会科学研究所教授となり、原理論の研究を進めるとともに、原理論、段階論、現状分析の三つの領域を統合する経済学方法論を樹立した。これがいわゆる三段階論である。宇野理論とよばれるこの独自の体系は、イデオロギーと社会科学を明確に区別するという視点から日本のマルクス経済学界に大きな影響を与えると同時に、戦前からの日本資本主義論争に対しても新しい方法論的視点から光をあてることができたのである。主要著作は前出書のほかに『経済原論』上下(1950、52)、『恐慌論』(1953)、『経済学方法論』(1962)など多数がある。昭和52年2月22日没。
[新田俊三]
『『宇野弘蔵著作集』10巻・別巻1(1973~74・岩波書店)』▽『宇野弘蔵著『資本論五十年』上下(1970、73・法政大学出版局)』
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1897.11.12~1977.2.22
大正・昭和期の経済学者。岡山県出身。東大卒。1922年(大正11)大原社会問題研究所所員としてドイツに留学。24年帰国後東北帝国大学助教授。38年(昭和13)人民戦線事件で検挙。47年東京大学社会科学研究所教授。原理論・段階論・現状分析の3段階論に集約される独自のマルクス経済学体系(宇野理論)を構築した。「宇野弘蔵著作集」全10巻・別巻1。
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[価値実体と価値形態]
価値の実体を規定するのが困難になる一方で,価値の形態に関する議論が,とくにマルクス派の一部において,おしすすめられた。たとえば宇野弘蔵によって率いられたいわゆる宇野派の経済学者たちは,商品,貨幣そして資本といった価値形態の論理的構造とそれらのあいだの論理的展開の様相を解明しようとしてきた。そこでおもに用いられたのは,ヘーゲル論理学を思わせる思弁哲学の方法である。…
…たとえば,戦後の資本主義諸国の復興と成長のなかで,イギリスのE.J.ストレーチーらのように,労働組合と民主主義の力によって窮乏化は絶対的にも相対的にもみられなくなっているという主張もくりかえされている。さらにふりかえってみると,窮乏化説の理論的根拠とされる相対的過剰人口の累進的増大傾向自体,原理的には資本蓄積の必然的帰結とはいえないし,したがって労働者階級の窮乏化の程度,内容,方向などはむしろ歴史的,具体的に分析して明らかにすべき問題であるとみなす見解も,宇野弘蔵らによって提唱されてきた。とくに1960年代にかけての先進資本主義諸国における持続的な経済成長の過程で,労働者階級の物質的生活水準もいちおう向上しつづけるなかで,窮乏化説を継承する立場にも多様性が増してきている。…
… これに対し,労賃上昇説的資本過剰論としての恐慌論をマルクスから継承して発展させようとする試みは,R.ルクセンブルクに批判的に対立したO.バウエルやかつてのスウィージーの一面にみられるほか,とくに最近の経済危機の分析の基礎として,イギリスのA.グリン,J.ハリソン,B.ローソン,アメリカのR.アルカリー,R.ボディ,A.マッキーンらによって,ふたたび重要視されるようになった。日本では,かねて宇野弘蔵とその後継者たちによって,この類型の恐慌論を周期的恐慌の原理として整備・完成する作業がすすめられており,国際的にもその意義は大きくなっている。その要点をつぎにみておこう。…
…発表当時はマルクス主義の再生をもたらすものと高い評価を受けたが,今日の西欧では言及されることも少ない。これに対し日本では,より広く受容され,たとえば宇野弘蔵の帝国主義理解の軸となる蓄積様式論は主として本書によっている。【星野 中】。…
…さらに,《資本論》の第4巻に当たる《剰余価値学説史》は,古典派経済学にいたるまでのマルクス自身の批判的な経済学説史にほかならない。 マルクス以後のマルクス経済学は,《金融資本論》(1910)の著者R.ヒルファディング,《資本蓄積論》(1913)の著者R.ルクセンブルク,《帝国主義論》(1917)の著者レーニン,そして宇野弘蔵などの手により展開されていく。また,L.ボルトキエビチ,柴田敬などを先行者として,置塩信雄,森嶋通夫などにより,マルクス経済理論の数学的構造が明らかにされ,ある意味で近代経済学の立場からのマルクス経済学への接近が容易になった。…
…これは基本的には,労働者が,商品所有者としての,したがってまた契約の主体としての,自由・平等・独立の人格を奪われている点に起因するのである。 日本ではマルクスのいう〈労働力の売買〉を〈労働力の商品化〉と表現する(宇野弘蔵独自の)言回しがほぼ定着している。しかし《資本論》にはこれにあたる用語はない。…
… しかし,これらの問題が真に解決されはじめたのは,マルクス経済学に対する政府の厳しい弾圧から解放されて自由な研究が開始された第2次大戦後のことであった。
[戦後の発展]
戦後におけるマルクス経済学の発展には,講座派,労農派それぞれについて研究の進展がみられたが,しかしなんといっても最も重要な成果は,宇野弘蔵による新しいマルクス経済学の体系化(宇野理論)であった。 宇野は,戦前の日本資本主義論争を労農派に近い立場から両派を批判的に考察しつつ,日本社会に残存する封建的ないし非資本主義的諸関係は,資本の運動自身が必然的に生みだしているのではないか,すなわち資本主義が一定の段階に達すると,その運動様式は《資本論》に示された運動法則と異なってくる必然性があるのではないか,と考え,《資本論》と後進国における資本主義化との論理的関連を体系的に組み立てるよう追究した。…
…しかし,マルクス主義はさまざまな分野に何らかの形で大きく影響し,とくに経済学と歴史学の分野で,日本のマルクス学は高い水準に達した。たとえば労農派系の宇野弘蔵は,原理論,段階論,現状分析の三つの領域に分けてマルクス理論を体系化して既存のマルクス理論と論争し,歴史学では古代史と明治維新や自由民権などの近代史で大きな学問的成果を生んだ。一方,政治の局面では,50年米ソの冷戦が激化すると,コミンフォルムの批判と占領軍の弾圧で共産党は分裂し,極左的武闘路線をとるなど混乱し,その影響力は急速に失墜したが(六全協),やがて55年ころから立直りに努め,中ソ論争以降自主独立路線をとるにいたった。…
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【日本における労働価値説の新展開】
ところで欧米においてはイギリスのウィクスティードPhilip Henry Wicksteed(1844‐1927)の《資本論――ある批判》(1884)やベーム・バウェルクの前掲のマルクス批判などによって,奇妙にも労働価値説やマルクス経済学研究への関心をほとんど失ってしまったが,第2次大戦前・戦中の激しい弾圧にもかかわらずマルクス経済学への関心と研究への意欲を絶やすことのなかった日本においては,戦後,新しい方法の提示によって労働価値説の研究に新たな展開がみられた。宇野弘蔵(1897‐1977)はその《経済原論》(上巻1950,下巻1952)において,商品,貨幣,資本などの流通形態とその展開を流通論として説き,資本の生産,流通,再生産の問題を扱う生産論と区別した。そしてマルクスがもっぱら行ったように,商品論で個々の商品の交換関係のなかで労働価値説を論証するのでなく,マルクスが他方である程度示唆していたように,資本の生産過程において,労働力の再生産に必要な生活資料は必ず確保されなければならないという事実のもとに,労働力に支払われる賃金による生活資料の買戻しを通して生産に要する労働時間を基準にして生活資料が,そして生活手段が相互に交換されるということが,論証された。…
※「宇野弘蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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