経済学方法論(読み)けいざいがくほうほうろん(英語表記)methodology of economics

日本大百科全書(ニッポニカ)「経済学方法論」の解説

経済学方法論
けいざいがくほうほうろん
methodology of economics

経済学の、主として理論の構造、理論の正当化もしくは理論の経験的基礎、あるいは理論の評価もしくは理論の選択の基準などを扱う研究領域をいう。

[佐藤隆三]

近代経済学の方法論

「近代経済学」は、日本固有の用語法によって、きわめて包括的であるから、方法論もけっして一様に論じることはできない。

 経済学方法論には大別して二つの流れがある。一つは、経済学を含めて社会科学は自然科学と根本的に性格を異にするから、両者の方法論は本質的に異なる、と考える流れであり、反自然主義とよばれる。いま一つは、両者の間に方法の違いはあるにせよ、それらは程度の差であって本質的な違いではない、と考える流れであり、自然主義とよばれる。

 反自然主義をとる方法論には、個人の行為の意味の理解を重視するM・ウェーバーの理解的方法、人間行動の規則性は自然法則よりも生活様式、規則、制度の結果であるとみて解釈の重要性を強調するウィンチPeter Winch(1926―1997)の方法論などがあるが、現代オーストリア主観学派への関心からとりわけ興味をもたれているのは、L・E・ミーゼスのプラクシオロジーpraxeologyである。プラクシオロジーとは、人間行為(ただし意識的に目的的な行動、つまり合理的行動に限定される)について普遍的に妥当する知識を探究する先験的科学であり、行為の論理学であり、経済学はその一部門である。プラクシオロジーは、「個人は行為する」という基本的公理とその論理的諸含意からなる体系であり、経済学の理論はそれらから演繹(えんえき)しうる、という。人間行為の知識はわれわれの心のなかにあり、内省によってしか他人の行動は理解できないので、観察・測定しうるような客観的な社会的諸事実はない、と主張される。なお、プラクシオロジーの主観主義は、行為者が異なると追究される目的も異なる、ということのみを意味している。経済学は、人々の選択する目標を所与とみなし、個々人の行為が織り成す相互作用によって生み出される、意図されざる結果を探究するものである、とみる。

 自然主義の流れに属する方法論も多様である。もともと自然科学の哲学自体一様でなく、そのうえ、1920年代末から第二次世界大戦後まで支配的であった科学哲学論理実証主義が1950年代に入って反実証主義的な批判の猛火を浴びるに及び、多様化の傾向にいっそう拍車をかける結果になった。

 反啓蒙(けいもう)主義的な形而上(けいじじょう)学を退け、科学を、経験的観察データを整理・記述し、経験的事実の予測を可能にする用具だとみる、論理実証主義ならびにこれと近親の操作主義は、第二次世界大戦後、経済学者の方法論議の重要な支柱であった。論理学・数学を経験的綜合(そうごう)からまったく分離させて分析的にとらえ、論理的研究と経験的研究の役割を峻別(しゅんべつ)し、新しい形式論理学(記号論理学)を経験科学の分析に積極的に導入した論理実証主義は、経済学に近代科学の装いを凝らすうえではかなりの影響を及ぼした。他方、科学理論を構成する文sentenceは、その文の真・偽を明確に確立しうる、少なくとも論理的に可能な条件をもつ場合に限って認識的に有意義である、という論理実証主義の厳格な経験主義の主張は、観察可能な現象の背後でそれらを引き起こす諸要因の解明を担う科学的理論の扱いにおいて、苦境に陥った。したがって、今日、論理実証主義の系譜をもつ方法論は、経験主義の要請をはるかに緩め、そして用具としての理論観は残すという形で構成されている。

 経済学者に影響を及ぼしたもう一つの科学哲学は、K・R・ポパーのそれである。ポパーは、当初から論理実証主義に本質的な批判を加え積極的貢献をしている。彼は、科学的理論は経験的現象の記述よりも内容の深い実在論的なものとみる。また、認識的意義を軽々に論ずることの意義を認めないばかりか、帰納は合理的に正当化しえないというD・ヒュームの主張に基づいて、論理実証主義の帰納主義をまったく退け、経験的証拠は科学的理論を反証する根拠としてのみ用いるべきだと主張する。よってポパーの方法論は反証主義または批判的合理主義とよばれる。なお、ポパーは、基本的には自然主義をとりながら、社会科学方法論としては方法論的唯名論と方法論的個人主義を支持し、合理性の原理、すなわち個人はつねに自分が置かれた状況に適した仕方で行為する、というそれを社会科学の基本法則である、と主張している。

 1950年代に入ると、どんな科学的理論に対しても中立的な観察事実などありえない、さらにまた形而上学的世界観を前提して初めて観察も理論構想も可能だとする見方が、優れて科学史に立脚した科学哲学として現れる。なかでもT・S・クーンの「パラダイム」論と、これに刺激されてポパリアンの立場から提出されたラカトシュLakatos Imre(1922―1974)の「科学的研究計画の方法論」が、経済学者の関心を集めた。クーンによれば、科学の理論は反証によって棄却されるということはなく、これにとってかわる積極的成功を収めた新理論が登場し、それを支持する科学者集団が形成されて初めて旧理論は覇権を失う。ラカトシュは、クーンのいわゆるパラダイムを研究計画としてとらえる。それは、世界観、基本的理論、基本的発見法が積み込まれた中核部分hard coreと、それを守る防備帯protective beltからなっている。ラカトシュはクーンと違って、多数の研究計画の競合として科学史をみる。そして、中核部分を基にして理論的にも経験的にも内容を増大させる研究計画を優れた研究計画として評価している。

[佐藤隆三]

マルクス経済学の方法論

史的唯物論

マルクス経済学のもっとも基礎的な世界観は弁証法的唯物論である。弁証法は、もろもろの事物を相互の連関においてとらえ、それらが内的矛盾によって運動し、量的変化から質的変化へと発展するものとして把握する考え方である。思考の最高形式としての弁証法を体系づけたのはG・W・F・ヘーゲルであった。しかし、ヘーゲル哲学は観念論であったため、物質を一次的なものと考える唯物論の立場からその合理的核心を批判的に継承したものが弁証法的唯物論である。そしてこの見解を社会の歴史の解明に適用したものが史的唯物論である。これは経済的社会構成体の発展を一つの自然史的過程として、すなわち人間の意志から独立して客観的な法則に基づいて運動する過程として理解する。人間はその社会的生産において一定の必然的な生産諸関係を取り結ぶが、これは人間の意志から独立したものであり、しかもそれはその時々の社会の物質的生産諸力の一定の発展段階に対応しているのである。この生産力の一定の発展に照応した生産諸関係の総体が社会の経済構造であり、現実の土台である。その上に法律的・政治的・イデオロギー的上部構造が聳立(しょうりつ)しているが、それらは究極的には経済的下部構造に規定されている。このような社会の仕組みのなかで、生産力の発展がある段階に達すると、生産力は既存の生産諸関係と矛盾するようになる。生産諸関係が生産力の発展を促進するものから阻害するものへと一変する。そのとき社会革命の時期が始まり、古い生産諸関係とその上に聳立する上部構造全体が変革されていく。人間社会は、生産力と生産関係との矛盾を原動力として運動していくのであって、経済的社会構成体はこれまで原始共同体奴隷制封建制資本主義という諸段階を経過し、いくつかの国では社会主義的生産様式が建設されつつある。

[二瓶 

広義の経済学と狭義の経済学

経済学は、人間社会の物質的生活資料の生産と交換とを支配する諸法則についての科学である。すなわち、経済学は、生産力の発展段階に照応し、生産手段の所有によって規定された生産関係と、それに照応する交換・分配関係を支配している諸法則を解明しようとする。人々が生産し交換する場合の諸条件は、先にみたそれぞれの発展段階で異なっている。このようなそれぞれの発展段階における生産と交換の特殊な諸法則を研究するのが、広義の経済学である。これに対して、経済学は、生成しつつあった資本主義社会解剖学として成立し、それは古典経済学を批判的に継承するK・H・マルクスの『資本論』で完成された。『資本論』は、資本主義的生産様式を対象とし、その運動法則とそれが内包する諸矛盾を解明し、資本主義が人類史の一段階として歴史的な性格をもたざるをえないことを明らかにしている。そういう意味において『資本論』は狭義の経済学である。経済学がこうした狭義の経済学として成立せざるをえなかったのは、商品経済に基づく資本主義社会においては、生産における人と人との本質的な関係が、商品・貨幣・資本などの物的形態によって覆い隠され歪曲(わいきょく)されて現象するため、この現象形態を科学的分析によって本質的関係に還元する必要があったからである。人間の解剖の解剖に対する一つの鍵(かぎ)をなすのであり、経済学は狭義の経済学として確立されることによって、広義の経済学も科学的解明の基礎を与えられるのである。

[二瓶 敏]

下向法と上向法

経済学は狭義の経済学として確立したが、資本主義的社会構成体を分析しようとする場合、その具体的運動に関する材料を細目にわたって収集し、材料の種々の発展形態を分析し、抽象力によってそれらの内的な関連を探り出さなければならない。たとえば資本主義社会を分析しようとする場合、まず目につくのは、さまざまな分野で生産活動に従事している人々である。こうした生産の主体としての人々から出発するにしても、それを構成している諸階級を解明しなければ、その実態はつかめない。さらに諸階級の相互関係を明らかにするためには、諸階級の存立の基礎となっている資本・賃労働・土地所有といった経済的カテゴリーの解明が必要となる。それらのカテゴリーを解明するためには、さらにさかのぼって貨幣・価格・商品といったより抽象的カテゴリーを解明しなければならなくなる。このような具体的なものから出発して、抽象力によって分析を加えることによって抽象的なものへと進む方法が下向法であり、これが研究の方法でもある。しかしそれを叙述する場合には、これと逆に、下向法によって到達したもっとも抽象的カテゴリーからより具体的なものへという道をたどらなければならない。これが上向法である。マルクスの『資本論』はこれに基づいて、資本主義社会のもっとも単純なカテゴリーである商品の分析から始めて、さらに貨幣・資本を解明し、利潤利子地代という諸階級存立の基礎的諸カテゴリーを解明することによって、この社会の階級関係を明らかにしている。

[二瓶 敏]

『マルクス著、高木幸二郎監訳『経済学批判要綱』「序説」(1958・大月書店)』『佐藤隆三「現代経済学の方法」(『経済学大辞典 第3巻』所収・1977・東洋経済新報社)』『イムレ・ラカトシュ、アラン・マスグレーヴ編、森博監訳『批判と知識の成長』(1985・木鐸社)』『マルクス著、武田隆夫他訳『経済学批判』「序言」(岩波文庫)』『エンゲルス著、粟田賢三訳『反デューリング論』「第2篇第1章」(岩波文庫)』『Bruce CaldwellBeyond Positivism (1982, George Allen & Unwin)』『Daniel M. HausmanThe Philosophy of Economics, An Anthology (1984, Cambridge University Press)』

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