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守田勘弥(12代) もりた かんや

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

守田勘弥(12代) もりた-かんや

1846-1897 明治時代の歌舞伎座元。
弘化(こうか)3年11月9日生まれ。江戸守田座の帳元中村翫左衛門(かんざえもん)の次男。守田家(11代勘弥のとき森田から改姓)の養子となり,12代をつぐ。明治5年守田座を新富町に移転,8年新富座と改称。歌舞伎の近代化をすすめ,団・菊・左の名優をそろえて黄金時代をきずいた。河竹黙阿弥(もくあみ)の門下で劇作もした。明治30年8月21日死去。52歳。江戸出身。本名は寿作。前名は勘次郎。作者名は古河新水。俳名は是好。屋号は喜の字屋

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

守田勘弥(12代)

没年:明治30.8.21(1897)
生年:弘化3.9.21(1846.11.9)
歌舞伎劇場の座元,歌舞伎狂言作者。守田座の帳元中村翫左衛門の次男。本名守田寿作。俳名是好。作者名古河新水。文久3(1863)年守田家の養子となり,翌年12代目勘弥を襲名し座元となる。中村座,市村座とともに江戸三座と称した守田座は,万治3(1660)年に森田太郎兵衛によって江戸木挽町に創建された森田座が,11代目勘弥の安政5(1858)年に守田座と改めたもの。天保の改革で浅草猿若町に移転していたが,明治5(1872)年に劇場建設制限が撤廃されると,12代目勘弥は早速に出願して,同年都心の新富町に進出し,一部に椅子席を設けた守田座を開場し,まもなく新富座と改称した。9年に火災で類焼後,外人席,ロビー,ガス灯を設置した演劇改良運動時代にふさわしい斬新な新劇場を再建した。勘弥は文明開化の潮流を洞察して,改良演劇や西洋演劇の翻案,西南戦争ルポルタージュ劇などの上演や夜間興行を実施するなど,歌舞伎の近代化につとめたが,新富座の経営が苦しく晩年は不遇であった。<参考文献>秋庭太郎『東都明治演劇史』,木村錦花守田勘弥

(藤波隆之)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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