出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県生駒(いこま)市門前町にある真言(しんごん)律宗の寺。生駒山と号するが、正式には都史陀山大聖無動寺(としださんだいしょうむどうじ)という。本尊は不動明王であるが、聖天堂の歓喜天(かんぎてん)への信仰が厚く「生駒聖天」の通称で親しまれている。1678年(延宝6)に宝山湛海(たんかい)が開創。当寺のある生駒山中腹はもともと葛城修験(かつらぎしゅげん)の行場、霊場で、境内および周辺には、般若窟(はんにゃくつ)などの巨岩信仰、陰陽石信仰の行場もあり、鎌倉期造立の十三重石塔や宝瓶塔も残されている。湛海は、般若窟に弥勒菩薩(みろくぼさつ)を安置し、1686年(貞享3)には聖天堂を建立するなどして寺観を整備した。1699年(元禄12)東山(ひがしやま)天皇皇子誕生のおりに祈願所となり、以後勅願寺とされるようになった。本尊不動明王像(湛海作)を中尊とする木造五大明王像、絹本着色弥勒菩薩像(鎌倉期作)などの仏画3点、1882年(明治15)建立の洋風建築「獅子閣(ししかく)」が国重要文化財に指定されている。正月三が日は「初聖天さん」といって、参詣(さんけい)者でにぎわう。
[水谷 類]
中国、河南(かなん/ホーナン)省彰徳の西、宝山にある寺。石窟(せっくつ)で有名である。546年(東魏(ぎ)の武定4)地論(じろん)宗祖光統律師の高弟道憑(どうひょう)が開削した石窟寺院で、のちに霊泉寺(れいせんじ)と称した。石窟は南北2洞あり、南の大留窟(だいりゅうくつ)(硃砂(しゅさ)洞)は道憑の開削で、東魏様式の釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)・弥勒(みろく)の三尊像がある。北の大住窟(響堂(きょうどう)洞)は、弟子の霊裕(れいゆう)が北周の武帝の排仏ののち、589年(隋(ずい)の開皇9)新たに釈迦三尊像を開削したものである。両窟の名は、霊裕が那羅延天(ならえんてん)の金剛性力による正法留住を祈願したものといい、窟内には護法の諸天善神を刻し、『法華経(ほけきょう)』寿量品(じゅりょうぼん)、『大集経(だいじっきょう)』月蔵分法滅尽品、『涅槃経(ねはんぎょう)』の雪山童子捨身求法無常偈(せっさんどうじしゃしんぐほうむじょうげ)の文などを刻む。
[里道徳雄]
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…生駒山宝山寺。奈良県生駒市にある真言律宗の大本山。…
…山頂から大阪平野や奈良盆地の眺望がきき,古くから戦略的に重要であった。生駒山の東腹にある宝山寺(生駒聖天)は〈生駒の聖天さん〉として大阪商人の信仰を集め,門前町が発達した。1918年に日本最初のケーブルカーが東麓から宝山寺まで開通し,29年に山頂まで延長されたため従来の参詣道はさびれた。…
※「宝山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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