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宮川長春 みやがわ ちょうしゅん

美術人名辞典の解説

宮川長春

江戸中期の画家。宮川派の祖。尾張生。俗称は長左衛門。土佐・狩野派を学び、菱川流をも慕い懐月堂の影響を受けた。美人画を得意とする。宝暦2年(1752)歿、71才。

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百科事典マイペディアの解説

宮川長春【みやがわちょうしゅん】

江戸中期の浮世絵師。尾張国宮川村に生まれ,宮川氏を称したと伝える。通称長左衛門,春旭堂と号した。肉筆風俗画を専門とし,菱川師宣,懐月堂(懐月堂安度)らの画風を慕い,雅致に富む豊麗な美人画を確立。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮川長春 みやがわ-ちょうしゅん

1682-1752 江戸時代中期の浮世絵師。
天和(てんな)2年生まれ。宮川派の祖。肉筆の美人画で名だかい。寛延2年(1749)日光廟(びょう)修理で狩野春賀(かのう-しゅんが)にやとわれ,画料未払いから翌年一門による春賀ら殺傷事件がおこった。宝暦2年11月13日死去。71歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。作品に「風俗図巻」「立美人図」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宮川長春

没年:宝暦2.11.13?(1752.12.18)
生年:天和2(1682)
江戸中期の18世紀前半を代表する江戸の肉筆浮世絵師。尾張(愛知県)の宮川村生まれ,俗称長左衛門。師系については土佐派を学び,師宣の風を慕うと伝え,それに狩野派や懐月堂の風も学習して独自の様式を確立したと思われる。門人の宮川長亀,宮川一笑と共に版画に全く筆を執らず,肉筆のみを描いた美人風俗画家であり,優麗暢達にしてこぼれんばかりの愛嬌と色香を漂わせる美人画を多作した。作品の過半は遊女図あるいは遊里を題材とした風俗画であるが,稀に女形図もある。画巻や屏風には,江戸名所風俗図や路上図も多い。寛延3(1750,一説に翌宝暦1)年,狩野春賀に招かれて日光東照宮の彩色修理を手伝ったが,その報酬のことで争いが生じ,春賀邸で暴行を受けた。代表作に「風俗図巻」(東京国立博物館蔵),「江戸風俗図巻」(大英博物館蔵),「立美人図」(大和文華館蔵),「遊女聞香図」(東京国立博物館蔵),「柳下納涼図」(フリア美術館蔵)などがある。

(浅野秀剛)

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世界大百科事典 第2版の解説

みやがわちょうしゅん【宮川長春】

1682‐1752(天和2‐宝暦2)
江戸中期の浮世絵師。宮川派,勝川派始祖。肉筆画を専門とし,版画は作らなかった。尾張国宮川村の出身と伝えるが明らかではない。通称を長左衛門といい,春旭堂と号して,はじめ両国広小路に住し,のち芝新堀町に移った。絵は菱川師宣の作風を慕い,懐月堂の美人画風にも影響されて,浮世絵肉筆画の正統を継承した。遊里と芝居町を中心に,江戸の市民風俗をいきいきと報告した作品は,掛幅や画巻をはじめ屛風画の大作にいたるまで数多く残っている。

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大辞林 第三版の解説

みやがわちょうしゅん【宮川長春】

1682~1752) 江戸中期の浮世絵師。尾張の人。柔軟な線描と美しい彩色で肉筆美人画を描いた。版画は残していない。宮川派の祖。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宮川長春
みやがわちょうしゅん

[生]天和2(1682).尾張
[没]宝暦2(1753).江戸
江戸時代中期の浮世絵師。尾張の宮川村の出身と伝えられる。菱川師宣懐月堂安度の画風を研究,肉筆美人画や肉筆風俗画を描き,宮川派の祖となった。門人に肉筆画を描いた長亀,一笑,春水らがおり,春水の門から勝川春章が出た。主要作品『演劇図巻』 (東京国立博物館) ,『風俗図巻』 (同) ,『美人聞香図』 (大和文華館) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宮川長春
みやがわちょうしゅん
(1682―1752)

江戸中期の浮世絵師。宮川派の祖。通称は長左衛門、春旭堂と号した。尾張(おわり)国(愛知県)宮川村の出身と伝えるが明らかではない。元禄(げんろく)年間(1688~1704)後半までには江戸に出て浮世絵を学んだらしく、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)や懐月堂安度(かいげつどうあんど)の肉筆画風に強い影響を受けた。新吉原の遊里風俗や、江戸に暮らす武士や町人の日常生活を題材に濃厚な彩色による肉筆画を数多く制作したが、浮世絵師でありながら絵本にも一枚絵にも版画作品は1点も残していない。様式を確立して本格的な活動に入るのは享保(きょうほう)年間(1716~1736)以降で、長亀(ちょうき)、一笑(いっしょう)、春水(しゅんすい)ら多くの優れた門人を育成し、肉筆画専門の流派として宮川派をおこした。代表作に『遊女聞香(もんこう)』、『風俗図巻』(ともに東京国立博物館)がある。1750年(寛延3)暮れ、前年の日光東照宮修復の絵画御用に参加した際の画料が不払いのままであったことから、幕府の表絵師である稲荷橋狩野家(いなりばしかのうけ)の狩野春賀(しゅんが)と争いを起こし、子の長助(ちょうすけ)と宮川派の画工たちは狩野邸を夜襲、春賀を殺害した。この事件がもとで長春の死は早められたものらしく、弟子の一笑は師の没した宝暦(ほうれき)2年(1752)11月、あるいは身代りとなってか伊豆新島(にいじま)に配流されている。残った春水は、罪を得た宮川の画姓をはばかり一時勝宮川を名のり、のち勝川と改めた。勝川派は長春の宮川派に源を発している。[小林 忠]
『楢崎宗重編『肉筆浮世絵3 長春』(1982・集英社)』

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世界大百科事典内の宮川長春の言及

【浮世絵】より

…ことに江戸歌舞伎特有の荒事の演技を活写する鳥居派の〈瓢簞足蚯蚓描(ひようたんあしみみずがき)〉と称される描法は,役者絵独特の描法として現代にまで踏襲されている。享保年間以降の18世紀前半,紅絵・漆絵期には奥村政信が版画の,宮川長春が肉筆画の中心画家として活躍した。ともに描写は繊細の度を加え,詩的(文学的)情趣を伝えることに意が注がれるようになってくる。…

【懐月堂安度】より

…東川堂里風,伯照軒(松野)親信,梅翁軒永春,滝沢重信,西川照信らの名が知られる。また宮川長春,奥村政信らも強い影響を受けた。【小林 忠】。…

※「宮川長春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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