江戸中期の浮世絵師。宮川派の祖。通称は長左衛門、春旭堂と号した。尾張(おわり)国(愛知県)宮川村の出身と伝えるが明らかではない。元禄(げんろく)年間(1688~1704)後半までには江戸に出て浮世絵を学んだらしく、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)や懐月堂安度(かいげつどうあんど)の肉筆画風に強い影響を受けた。新吉原の遊里風俗や、江戸に暮らす武士や町人の日常生活を題材に濃厚な彩色による肉筆画を数多く制作したが、浮世絵師でありながら絵本にも一枚絵にも版画作品は1点も残していない。様式を確立して本格的な活動に入るのは享保(きょうほう)年間(1716~1736)以降で、長亀(ちょうき)、一笑(いっしょう)、春水(しゅんすい)ら多くの優れた門人を育成し、肉筆画専門の流派として宮川派をおこした。代表作に『遊女聞香(もんこう)』、『風俗図巻』(ともに東京国立博物館)がある。1750年(寛延3)暮れ、前年の日光東照宮修復の絵画御用に参加した際の画料が不払いのままであったことから、幕府の表絵師である稲荷橋狩野家(いなりばしかのうけ)の狩野春賀(しゅんが)と争いを起こし、子の長助(ちょうすけ)と宮川派の画工たちは狩野邸を夜襲、春賀を殺害した。この事件がもとで長春の死は早められたものらしく、弟子の一笑は師の没した宝暦(ほうれき)2年(1752)11月、あるいは身代りとなってか伊豆新島(にいじま)に配流されている。残った春水は、罪を得た宮川の画姓をはばかり一時勝宮川を名のり、のち勝川と改めた。勝川派は長春の宮川派に源を発している。
[小林 忠]
『楢崎宗重編『肉筆浮世絵3 長春』(1982・集英社)』
江戸中期の浮世絵師。宮川派,勝川派の始祖。肉筆画を専門とし,版画は作らなかった。尾張国宮川村の出身と伝えるが明らかではない。通称を長左衛門といい,春旭堂と号して,はじめ両国広小路に住し,のち芝新堀町に移った。絵は菱川師宣の作風を慕い,懐月堂の美人画風にも影響されて,浮世絵肉筆画の正統を継承した。遊里と芝居町を中心に,江戸の市民風俗をいきいきと報告した作品は,掛幅や画巻をはじめ屛風画の大作にいたるまで数多く残っている。1749年(寛延2)日光東照宮修復の事業に,稲荷橋狩野家の当主春賀理信に従い一門を率いて参加するが,翌年の暮れに賃金不払いの件で狩野家と紛争をおこし,まもなく没する。長春の代りに伊豆新島に流された高弟一笑にかわって,春水が画姓を勝宮川,さらに勝川と改め,肉筆画の伝統を守り継いだ。勝川派の春章や春朗(葛飾北斎)が肉筆画を得意としたのは,長春に画系の源をつないでいるからである。代表作として《見返り美人図》(大和文華館),《遊女聞香図》《風俗図巻》(ともに東京国立博物館),《歌舞伎・吉原風俗図巻》などがある。
執筆者:小林 忠
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…ことに江戸歌舞伎特有の荒事の演技を活写する鳥居派の〈瓢簞足蚯蚓描(ひようたんあしみみずがき)〉と称される描法は,役者絵独特の描法として現代にまで踏襲されている。享保年間以降の18世紀前半,紅絵・漆絵期には奥村政信が版画の,宮川長春が肉筆画の中心画家として活躍した。ともに描写は繊細の度を加え,詩的(文学的)情趣を伝えることに意が注がれるようになってくる。…
…東川堂里風,伯照軒(松野)親信,梅翁軒永春,滝沢重信,西川照信らの名が知られる。また宮川長春,奥村政信らも強い影響を受けた。【小林 忠】。…
※「宮川長春」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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