宿無団七時雨傘(読み)やどなしだんしちしぐれのからかさ

改訂新版 世界大百科事典 「宿無団七時雨傘」の意味・わかりやすい解説

宿無団七時雨傘 (やどなしだんしちしぐれのからかさ)

歌舞伎狂言世話物。3幕6場。通称《宿無団七》。初世並木正三作。1768年(明和5)7月大坂竹田芝居初演。67年閏9月京の北側芝居初演という説もある。おもな配役は団七茂兵衛を竹田宇八,芸子とみを中村松代,岩井風呂利助を竹田伊勢松,平右衛門を中山滝蔵,嵐三五郎を竹田多蔵,沢村国太郎を中村吉松,千力の市兵衛を竹田時蔵,数右衛門を竹田次郎市,おそよを佐野川富松,大文字屋次兵衛・下人嘉兵衛を竹田万六であった。大坂島之内の岩井風呂の殺傷事件を,1698年(元禄11)に初世片岡仁左衛門が大当りを取った《宿無団七》に仮託して,事件後すぐに脚色した作品である。主君から預った宝刀盗賊に奪われ家が断絶して放浪の生活を送る茂兵衛と,その茂兵衛に刀と折紙を取り戻させるためわざと愛想づかしをいう情婦のおとみや岩井風呂の主人利助・おそよ夫婦の苦衷にみちた心情がリアルに描かれ,悲劇的結末へと発展してゆく。その過程で,縁切,意見事,殺しなどの歌舞伎の常套的手法が織り込まれ,内容と形式が合体した世話物の名作。また本作では作者が作中に登場するのが珍しく,当時の狂言作者私生活役者の役づくりの模様など,楽屋内の風習を知ることができる。そのころの市井語が縦横に使われ,上方の代表的世話狂言として今日まで上演されてきた。なお,正三没後の1790年(寛政2)大坂角の芝居上演以後,劇中の作者を並木正三として演じた。

 1980年8月東京の国立劇場では,結末を茂兵衛の切腹にするなど原作に戻っての上演であった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宿無団七時雨傘」の意味・わかりやすい解説

宿無団七時雨傘
やどなしだんしちしぐれのからかさ

歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。三幕。初世並木正三(しょうざ)作。1768年(明和5)7月、大坂若太夫芝居で、竹田宇八、中村松代らにより初演。前年の閏(うるう)9月、京・北側芝居初演という説もある。当時大坂の岩井風呂(ぶろ)で実際にあった湯女(ゆな)殺しを、元禄(げんろく)期(1688~1704)から上方(かみがた)に伝わる歌舞伎狂言『宿無団七』の主役名を借り、事件後すぐ脚色したもの。かつては侍であった団七の茂兵衛は、旧主のため、魚屋になって宝刀を詮議(せんぎ)していたが、愛人の芸子とみは敵(かたき)役が持つ刀の折紙(おりかみ)を手に入れるため、心ならずも愛想づかし。茂兵衛は、狂言作者の家で、不実の女を男が殺すという筋の芝居の打合せを聞き、身につまされて心乱れ、多くの人を殺傷する。1790年(寛政2)以来、主人公が殺人の示唆を受ける作者の名が並木正三と決まった。魚売りの風俗や役者と作者の生活などが描かれているのが珍しく、全体に京坂の味が強く残る、生粋(きっすい)の上方狂言である。

[松井俊諭]

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「宿無団七時雨傘」の解説

宿無団七時雨傘
やどなしだんしち しぐれのからかさ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
安田蛙文 ほか
補作者
並木正三(1代) ほか
初演
元文5.1(大坂・花妻座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

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