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上桂荘(読み)かみかつらのしょう

百科事典マイペディアの解説

上桂荘【かみかつらのしょう】

山城国葛野(かどの)郡の桂川右岸(南岸),現京都市西京区にあった荘園。上野(かみの)荘ともいう。開発領主は葛野郡一帯に古くから勢力を張っていた秦(はた)氏の一族と推定される津守津公で,成立は10世紀中ごろと推定される。平安時代末期七条院領となり,のち後宇多上皇寄進により東寺(教王護国寺)領となる。1229年の総田数16町余,うち定田は7町5段余で年貢米30石余,1245年には総田数22町2段余,うち定田5町5段余で年貢米23石余,定畑4町余。1334年には公田11町1段余,定田7町4段余。南北朝期を通じて年貢米は約60石。東寺領荘園としては小規模である。河岸に立地することから用水には恵まれたが,反面洪水の危険につねにさらされ,用水路・田畑被害がたびたびあった。また伝領関係をめぐる紛争や境界相論も絶えず,特に南北朝後半期以降は近隣に所在する禅院の蚕食が進んだ。1429年の川大洪水で田畑がほぼ荒廃地となったため,東寺は南隣革島(かわしま)荘の地頭革島貞安を上桂荘代官職および捨名主職に任命して再開発を請け負わせ,さらに復旧費負担を条件に富豪の寺崎玄雅と乗真房祐尊を上野荘名主職に補任して復興に乗り出すが,やがて用水管理権が東寺から土豪,名主側に移り,東寺の支配は次第に衰退していった。

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世界大百科事典 第2版の解説

かみかつらのしょう【上桂荘】

上野荘(かみののしよう)ともいう。山城国葛野郡(現,京都市西京区)の桂川右岸にあった荘園。1229年(寛喜1)の検注目録によれば,総田数16町余。10世紀中ごろ(天暦年間)の成立という。開発領主は桂川の津守津公。津公,兼枝,玉手則光と相伝し,997年(長徳3)則光は中司職(内容は下司職同様と考えられる)を留保して領家職を東三条院大納言局に寄進。領家職を継承した内大臣阿闍梨清厳は,七条院(後鳥羽天皇生母)に本家職を寄進。

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