富士松薩摩掾(初代)(読み)ふじまつ・さつまのじょう

朝日日本歴史人物事典 「富士松薩摩掾(初代)」の解説

富士松薩摩掾(初代)

没年:宝暦7.6.6(1757.7.21)
生年貞享3(1686)
江戸中期の豊後節太夫本名野中彦次郎。宮古路豊後掾門弟で,豊後節禁止の時代に,宮古路文字太夫(のち初代常磐津文字太夫),綱太夫,数馬太夫らと共に江戸で豊後節の再興に尽くした。はじめ宮古路加賀太夫と称して,敦賀太夫(鶴賀若狭掾)らをワキに従え劇場に出演していたが,延享2(1745)年冬に富士松薩摩と改名,翌年暮れに掾号受領して薩摩掾となった。しかし,同門の文字太夫の常磐津節が着々と江戸の劇壇にその地位を確立していく一方で,薩摩掾一門はそれほど派手な活動もなく劇場から去った。富士松姓も彼の死後,魯中によって再興されるまで休眠状態となった。晩年は浅草で質屋を営んだという。

(根岸正海)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富士松薩摩掾(初代)」の解説

富士松薩摩掾(初代) ふじまつ-さつまのじょう

1686-1757 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
貞享(じょうきょう)3年生まれ。新内節。宮古路豊後掾(ぶんごのじょう)の門弟で,豊後節禁令後その再興につとめた。延享2年独立して富士松薩摩と改名,翌年掾号を受領。晩年は江戸浅草で質屋をいとなむ。宝暦7年6月6日死去。72歳。本名は野中彦次郎。初名は宮古路加賀太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android