富山から日本全国の家庭へ配置家庭薬を行商に回る人、あるいはその行為をいう。後者は越中(えっちゅう)売薬あるいは富山売薬ともよばれる。越中売薬は、富山藩第2代藩主前田正甫(まさとし)に始まるとされる。前田正甫は生来病弱で、幼いころから医薬に対する関心が強い人であった。17世紀の末、正甫は当時の岡山藩医万代浄閑(ばんだいじょうかん)(常閑)から「反魂丹(はんごんたん)」の処方を伝授され、この薬方が非常に功を奏したことから、藩の事業として各地に行商させることにしたという。当初は町役所の総曲輪(そうがわ)で売薬商の取締り管理をしていたが、のちに同役所内に反魂丹役所が設けられ、藩の財政も大いに潤ったと伝えられる。行商の方法は、現在とほぼ同様の配置販売方式がとられた。すなわち、各家庭にあらかじめ薬を置いておき、年に一度か二度、家庭訪問し、使用された薬の代金のみを受け取り、使用分を再度補充する、いわゆる「先用後利」の方法である。家庭訪問に際しては、配置員(売薬人)が子供への土産(みやげ)(角(かく)風船や売薬版画)や各地のニュースを運んでくるため、たいへんに喜ばれた。また、藩としても配置員の教育には力を入れ、まじめで信頼できる人材の養成に努めた。
富山売薬は現在も行われており、配置薬の種類はかぜ薬、胃腸薬、膏薬(こうやく)などのほか、近年では応急バンドテープやドリンク剤なども加わり、その配置品目は増えている。なお、顧客名簿である「懸場(かけば)帳」は売買の対象ともされる。
[難波恒雄・御影雅幸]
『宗田一著『日本の名薬』(1981・八坂書房)』
…民間医療の長い経験を経て,秘伝の製造元が成立してきた。なかでも著名な越中富山の薬売の起源は元禄年間(1688‐1704)といわれ,近世末には数十種の薬が全国に普及し,藩の最大の物産となり,明治以後さらに盛行した。ほかに奈良県丹波市(たんばいち)(現,天理市)付近,岡山県総社市周辺,新潟県西蒲原地方も,売薬行商の本拠地として知られる。…
※「富山の薬売り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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