寺門(読み)ジモン

デジタル大辞泉 「寺門」の意味・読み・例文・類語

じ‐もん【寺門】


寺の門。また、寺。
寺門派」の略。
園城寺おんじょうじ三井寺みいでら)の異称

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精選版 日本国語大辞典 「寺門」の意味・読み・例文・類語

じ‐もん【寺門】

[1] 〘名〙
寺院の門。山門
太平記(14C後)二四「天龍寺へ参詣せられけり。〈略〉已(すで)に寺門に至りしかば」
② 寺。
※法性寺関白御集(1145か)幽寺月方清「清夜訪僧乗月遊。寺門寂寂境方幽」
※体源抄由来(1965)〈唐木順三〉二「みづから我が宗に帰して寺門に入って一寺を住持するに至った御仁もゐる」
三箇院家抄(1469頃)一「以上二丁二反者、寺門反銭・反米無之」
④ 「じもんは(寺門派)」の略。
[2] 滋賀県大津市の園城寺(おんじょうじ)(=三井寺)の別称比叡山延暦寺の「山門」に対していう。
神皇正統記(1339‐43)中「山門・寺門は天台をむねとするゆゑにや、顕密をかねたれど宗の長をも天台座主と云めり」

てらかど【寺門】

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百科事典マイペディア 「寺門」の意味・わかりやすい解説

寺門【じもん】

日本仏教の一派園城(おんじょう)寺本山とする天台宗の一派をいう。山門(さんもん)(延暦(えんりゃく)寺)に対す。天台宗は最澄(さいちょう)の法統を継ぐものが座主(ざす)を務めてきたが,10世紀に至り,円仁(えんにん)と円珍(えんちん)の間に座主の地位をめぐって確執を生じ,993年円珍の末徒千余人は比叡(ひえい)山を下って園城寺に入り,以後,円仁の末徒との間に数百年にわたって抗争が続いた。教義的には差はないが,自然に一派をなし,現在では天台寺門宗と称している。

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普及版 字通 「寺門」の読み・字形・画数・意味

【寺門】じもん

てらの門。唐・張籍〔孟叔を哭す〕詩 曲江院裏、名を題する處 十九人中、最も少年 今日、春光、君見えず 杏す、寺門の

字通「寺」の項目を見る

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旺文社日本史事典 三訂版 「寺門」の解説

寺門
じもん

天台宗の二大分派の一つ。➡ 山門・寺門

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世界大百科事典(旧版)内の寺門の言及

【延暦寺】より

…しかし,このころから慈覚(円仁),智証(円珍)両門徒の対立が進行激化し,ついに993年(正暦4)に至って慶祚以下の智証派1000余人は下山して園城寺(三井寺)に拠った。山門と寺門(三井寺)の対立はここに始まり,以後,鎌倉末期に至るまで,山門衆徒が園城寺を焼くこと7度に及んだ。僧兵化した山徒の横暴は平安時代末の院政期にもっともはなはだしく,座主の任命や寺領の問題で朝廷に強訴(ごうそ)をかけることがたび重なり,1095年(嘉保2)から強訴のとき日吉(ひよし)の神輿をかつぎ出すことが例となった。…

【園城寺】より

…滋賀県大津市にある天台寺門宗の総本山。山号は長等山。…

【山門(三門)】より

…大徳寺三門(1589)などが代表作であるが,現存遺構中最古とされる東福寺三門(1410ころ)は,大仏様(天竺様)の影響をみせる。なお建築とは別に,天台宗の比叡山延暦寺をさしてとくに〈山門〉と呼び,これより出て別派をなした園城寺(三井寺)を〈寺門〉と呼んで,両者を対比区別した呼称がある。禅宗寺院建築【沢村 仁】。…

※「寺門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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